2011年3月13日日曜日

生きるということ

あまりにも、あまりにもひどい災害で、半端なお見舞いの言葉を書くことができません。
それから、私が今まで直視してこなかった原発が、大きな大きな問題になっています。

私個人は、災害に直結する情報こそ、最優先にエネルギーが使われるべきだと思い、
計画停電に微力ながらも貢献すべく、暫くの間は、当ブログの更新を控えます。

少しでも少しでも命が救われますよう。




P.S.
大きく揺れました。
本を詰め込んだ書架も倒れましたが、
それだけで済みました。

2011年3月10日木曜日

辻井伸行、音楽の殿堂NYのカーネギーホールでのリサイタルが決定!

CHOPIN - NOBUYUKI TSUJII
AVCL-25489

 2009年6月、第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで日本人として初の優勝を飾って以来、世界を舞台に活躍している辻井伸行が、遂に音楽の殿堂カーネギーホールでリサイタルを開くことが決定しました! ニューヨークでの本格的なリサイタル・デビューとなります。
 
 リサイタルは今年11月10日夜。カーネギーホールが主催する“Keyboard Virtuosos2(鍵盤の達人2”というシリーズで、
(以下詳細はここ)。

引用元:http://www.cdjournal.com/main/news/tsujii-nobuyuki/37226



・・・・

紀尾井ホールで開かれたavex さんのコンベンションで、辻井さんをきいたときは、より大きなホールで持ち味や真価を発揮するタイプかな? と思いました。私には小さく綺麗にまとまるタイプじゃないな、とも感じた。

そういう意味で、NYカーネギーでのリサイタルは、合っているかもしれないです。
現地での聞き手の反応、批評…「ものすごく色んな意味合いで」、注目したいです。

ともかく、成功を祈ります。

ヘルベルト・フォン・ホッホマイスター殿

諸々資料を送付いたしました。


気をつけて帰国くださいませ。

新井・クラウディオ

(代筆、管理人)

2011年3月8日火曜日

架空書評1号、2号、3合…

今年は毎日(何が何でも)少しずつでもブログを書いておこう、と思っておりましたが、ここ数日間更新できておりませんでした。すみません。と、一応言っておいた方が良いかは疑問ですが、何となく書いておきます。

実は、ここ数日、当事者のためだけの架空書評を書いておりました。

3本。いや、3種類というべきか。

1本目が2,000文字。
社会学っぽい視点(私はその専門でも何でもないですが)で書いたら、ちょうどうまい具合に勝手に論点がずれていき、それが妙な味わいが出て、個人的には面白いといえば面白いのですが、「イマイチ」という反応。。

2本目は長めの5,500文字。
こっちは、何て書いたっけな。汗
そうそう、ファンクラブ会報を主宰している人、という名目で書いてみました。
やたらと多い引用と無駄な知識や主義がとぐろを巻いた文で、途中で笑い疲れる感じですが、「おもしろかったですヨ!」とのこと。

3本目は縦書きの手紙形式。約2,100文字。
私としては面白く仕上がった感じ。だけど、反応は微妙。なんか怒ってらっしゃいますか? という感じ。笑
なので、今、補足文をお送りしたところです。

残すは音楽批評家風とメディアジャーナリスト風というか話題のハイパーメディア…風かな?

できるのか? 私。

2011年3月3日木曜日

深川洋一著『生命の暗号を聴く 名曲に隠されたタンパク質の音楽』(小学館)


深川洋一著『生命の暗号を聴く』(小学館)


2007年8月14日初版。著者の深川さんは『タンパク質の音楽』(筑摩書房)を1999年に出版しており、件の著作は2作目にあたります。前作及びこの著作は Dr.Joel Sternheimer (ジョエル・ステルンナイメール博士「素粒子論を専門とする理論物理学者」と本書では紹介)の「タンパク質と音楽」に関する研究がベースとなっています。


書評でも感想でもなく、私にとって気になった箇所を抜き出したメモ的な内容です。


・・・・・

例えば体内でタンパク質が合成されるとき、アミノ酸、tRNA、リボソームという、スケールがそれぞれ異なる物質が含まれたシステムが関係する。スケーリング波動は、その三つのスケールを互いに結びつけているのである。

アミノ酸の発する信号は、アミノ酸ごとに振動数が異なっている。つまり別の見方をすれば、アミノ酸が一つつながるごとに、いろいろと違う高さの「音」が出ていることになる。(略)しかも各アミノ酸のピッチは、物理学の理論を用いて具体的に求めることもできる。もっとも「音」と表現したが、このミクロ世界の音楽は高音すぎて耳には聞こえないのだが…。(略)
不思議なことに、各アミノ酸が発する「音」は、同調現象(シンクロナイゼーション)を通じて十二平均律音階に一致するようになるため、中途半端なピッチの音はない。(略)

・・・・・


『タンパク質の音楽』は単なる音楽ではなく「薬」であるということ。『タンパク質の音楽』は、人間が作曲した音楽とは違って特定の効果を生じさせる特殊な音楽であるため、使い方を間違えると副作用が生じる危険がある。だから利用にあたっては正しい知識が不可欠である。


・・・・・


ひと言。

著者は、東京大学大学院理学系研究科修了。理性の成果である科学から感性が生み出す芸術まで、細分化された分野の枠を超えたトランスディシプリナーな視点で独立して研究、著述、講演を行う・・・著者紹介にありました。そのため本書は扱う話題が大変に幅広く(面白く)なかなかの「読み物」に仕立てています。一方で、それぞれの専門分野のお持ちの方が見れば「突っ込める部分」があるかもしれません。例えばピッチ(440Hz)の箇所などもそう。ですが「ルール」的概念を取り払ったところに何がしかの真実が存在しているかもしれないとも思いました。私は、442Hzで演奏しているのは「もしや毒成分を緩和する」感覚がそうさせたのかも、と勝手に科学的根拠なしに妄想していますが。それからリヒテルの事例や、あの事例やこの事例や…おっと広がってきそうなのでやめておきます。


メンタル系のコンテンツやコンピを制作される方は一読をお奨めします。
感覚的に制作したモノが増えているなぁ…と思いますので。

2011年3月1日火曜日

東京文化会館 開館50周年



1月にリリースされているニュースですが…、

「DNA」が宿るというか…、
アーティストたちの「息」が潜むというか…
所謂「昭和」を感じさせるだけではない「深さ」のようなものが、
東京文化会館にはありますよね。

「リッチ」さを感じさせる空間は他にたくさんあるけれど、
文化はみんなのモノなんですよ、が否応なくわかる稀有な空間。

黛敏郎さんのオペラ『古事記』、日本初演を行う予定とのこと。
これも注目。

「らしさ」を感じさす記念事業だと感じました。


P.S.
金魚坂でお会いしたVn さんは頑張ってらっしゃるかな?

2011年2月28日月曜日

「燃える炭火に照らされた夕べ」



Claude Debussy - «Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon»
ドビュッシー:燃える炭火に照らされた夕べ



今日は寒い日ですね。
雨と雪が冷たく顔に当たって…ね。
ご自愛くださいませ。


・・・

(略)…この作品を書いているときも、ドビュッシーは癌の病苦が激しいため、ほとんど創作活動ができなかったのです。そういった中で石炭を世話してくれた商人に頼まれてこの作品を書くことになったそうです。私はこの作品の自筆譜のファクシミリを持っていませんが、ドビュッシーの自筆譜は線が細く、繊細で淡い感じで書かれ、その筆跡がすでに音楽と一体化して、一種の絵画的なものになっています。この作品の自筆譜は2001年にアメリカで発見されたばかりで、出版もDurand社から2003年に出たばかりなので…(詳細は引用元へ)


引用元:http://www.piano.or.jp/report/01cmp/knk_dbsy/2007/08/03_4338.html
金子一郎氏の素敵な演奏もぜひ:http://www.youtube.com/watch?v=xWeAd4g29QU


(以上、ドビュッシーメモ)

2011年2月27日日曜日

Ravel plays Ravel Pavane pour une Infante Defunte



本日はこのような気分です。

それではごきげんよう。


P.S.
ラヴェルの演奏からは色んな発見があるな。

2011年2月26日土曜日

2011年2月25日金曜日

ニュージーランド交響楽団首席コントラバス奏者、池松宏氏の合宿

このたびのニュージーランドの震災で被災に遭われた皆さま、ご家族や関係者の皆さま、心からお見舞い申し上げます。





・・・

さて、チェロの山本裕康さんのブログに「かぁーっと」熱くなる素敵な記事がありました。
リンクを貼りますので、よろしければご覧になってください。
こんなレッスンができる音楽家は本当に素晴らしいです。

http://d.hatena.ne.jp/mp-yamamotohiroyasu/20110225

2011年2月24日木曜日

ゲラ読み中

ここ数日間集中して取り組んでおります。

何を?

力作労作のゲラ刷りを私目が拝読。

音楽好きなら誰もが知る歴史的アーティスト。

現代における「アーティスト」の概念は、

このアーティストが創ったのではないか?

という人の衝撃の事実がここに…

2011年2月22日火曜日

人気アーティストたちが先生になる『音楽のじかん』が開講


詳細はここ
 ちょっと変わった新感覚の音楽イベントが赤坂BLITZでスタートすることが発表された。人気アーティストたちが先生になるという『音楽のじかん』なるイベントだ。

アーティストが音楽の先生になって熱血指導するというこの『音楽のじかん』、赤阪BLITZで全席指定の着席公演というプレミアムなイベントとなる。子どもから大人まで、音楽が好きな人もそうでない人も楽しめそうな『音楽のじかん』は、もちろん日ごろライブで見せる表情とは違う、新たな一面を発見するであろう内容で、先生となった各アーティストがそれぞれが選んだテーマにそって『音楽の授業』を繰り広げてくれる。
知っているようで知らない音楽の魔力が、きっとたくさん解き明かされることになりそうだ。ご注目を。
 『音楽のじかん』
3/19(土)19時開演(1)川平慈英&服部隆之(2)後日発表
3/20(日)15時開演(1)川平慈英&服部隆之(2)キマグレン
3/20(日)19時開演(1)キマグレン (2)後日発表
3/21(月・祝)15時開演(1)スキマスイッチ(2)植村花菜
3/21(月・祝)19時開演(1)スキマスイッチ(2)植村花菜
※1公演が2コマになります
※当公演は企画イベントのため、通常の各アーティストライブとは異なります
チケット 5000 円(全席指定/税込)
一般発売 3/5(土) プレオーダー 2/25(金)~3/1(火)


引用元:http://www.barks.jp/news/?id=1000067837&ref=rss


・・・・

この手の内容は今後要注目だと思っております。
音楽のナレッジが蓄積されてきて、語られること自体がイヴェントの目的となる。

個人的に興味を持ったイヴェントの紹介でした。

2011年2月21日月曜日

ゲルギエフの食事

Valery Gergiev
ヴァレリー・ゲルギエフ
1953-
引用元:Wikipedia



うな丼
エビフライ定食
お味噌汁…



伊熊先生のブログ。
興味深いお話しが多いです。
ぜひご覧を~

http://blog.yoshikoikuma.jp/?eid=142117


2011年2月20日日曜日

USTREAM活用方法一考 その2 今日は何の日?



ある日、私の携帯が鳴った。

S先輩からである。

「おい、今からさぁUSTREAMで生中継するから…必ず見てくれよ」。

生中継の内容は既にニュース配信されていた。

・・・

バリトン歌手、松平敬氏の多重録音による、ワンマン・アカペラCD『モノ=ポリ』(関連ニュース)(ENZOレコーディングスより2月20日より発売)の、完成記念座談会が2月20日と21日に行われ、その様子がUSTREAMで生中継される。松平氏本人、プロデューサー&エンジニアである嶋田亮氏のふたりが今回の座談会のパネラー。ゲストパネラーとして20日は若手音楽ライターの長井新之助氏、21日は音楽ライター鈴木淳史氏を迎えて今回のアルバム制作の話題が展開される。

詳細・引用元:http://www.phileweb.com/news/audio/201002/19/9731.html

・・・

実はこれは昨年の2月20日の話である。

このアルバムは見事、文化庁芸術祭優秀賞受賞した。

「いつも進んでますね」とS先輩にいうと、

「海外の三周遅れを拝んでいるのが日本市場なんだよ」

と返事がきた。

業界には色んな人がいるが、

「型破り」という点では私の最も尊敬する人である。

2011年2月19日土曜日

創業70周年記念の集い

某月某日某所

創業70周年を迎えた出版社さんのおめでたい席にいた私。

宴お開き後A先生と早速打ち合わせ。
その後、場所を変えて装丁の間村さんらと合流。

ナオコーラさんが私の隣に。
とてもモノ静かな人。
そのお隣に短歌の東さん小説と写真の大竹さん。
つかずはなれず仲良しな感じ。

モノ書きの人ってマイペースで良いなと思った。
文章で表現する人なので喋る必要がないのかな?
音楽と違って合奏という行為がないから、
「静かなる自分の世界」がある風で良いナ。

それにしても、

間村さんは優しい。
ガハハハ~と笑ってね。
批評臭いことは一切言わない。
これ、けっこう大切なことなんです。

2011年2月18日金曜日

【ご案内】Trio-L'etoile "primier concert"

なかなか良く考えて、頑張っているなぁと思ったのでご案内です。
近くにお住まいの方、ホルン吹きの方、秘曲実演主義の方応援を!






20110302日(水)  19:00開演  杉並公会堂 小ホール(東京都)
ヴァイオリン:長倉亜紗、ホルン:長竹英治、ピアノ:棟方真央


★Program★
G.Faure:Piano Trio d-moll op.120
G.フォーレ:ピアノ三重奏曲 ニ短調 作品120

D.Banks:Horn Trio
D.バンクス:ホルントリオ

J.Brahms:Horn Trio Es-Dur op.40
J.ブラームス:ホルン三重奏曲 変ホ長調 作品40

入場料:一般1,500円、学生1,000円

お問い合わせ:trio-letoile@mail.goo.ne.jp


以下出演者から

・・・・

三重奏といえば、ピアノ、ヴァイオリン、チェロを思い起こす方が多いかと思いますが、
温かい音色のホルンとの三重奏をぜひ聴いてみませんか?

ホルンも得意だったブラームスは、ホルントリオの為に崇高で壮大な曲を作曲しました。
それぞれの楽器が見事に調和し、現在一番有名なホルントリオの曲とされています。

その他にも、ピアノトリオとして有名なフォーレのチェロ部分をホルン用に編曲しました。この曲を知っている方もまだ知らない方も、きっと楽しんで頂けると思います。

ドン・バンクスは現代の作曲家で、この作曲家もオリジナルでホルントリオの為に作曲しています。
楽譜は難解。それぞれ合わせるのも簡単ではない曲ですが、なぜか一度聴いたら癖になってしまうフレーズばかりです!

全てのプログラムがホルン、ヴァイオリン、ピアノによる曲です。
ホルントリオを愛する方の輪が、少しでも広がってくれることを願いつつ・・・

・・・・


決して高くない入場料だしできるだけお買い求めの上お聴き頂ければ幸いです。
若手演奏家の殆どの興行が出演者自ら負担して開催しておりますので…。
かつてはGGもそうでしたし。


以上、ご紹介でした。

2011年2月17日木曜日

振ると面食らうTシャツ



昨年200着限定であっと言う間に売り切れ。
Aさん、生誕125年の今年こそもっとやった方がいいじゃないですか?

「フルベンって誰?」という人が着たりするとけっこう面白いと思います。
もちろん熱狂的ファンが着用されても!


中部地方にお住まいのPさんどうですか?
ご覧になっているのかどうか・・・

2011年2月16日水曜日

一橋のガラガラヘビ




某月某日…。

A先生のお手伝いで一橋大学如水会館へ。講演名は「フランスのエスプリ~クープランとドビュッシー」。


「ガタガタのベヒがあるらしいのだけど」と先生。
「え?ガラガラヘビですか?」と私。


ベヒとはベヒシュタインのことでした。
ま、そんな冗談は置いて…そのベヒ、会場に行って、見て、聴いて、驚いた。

骨董のレース細工のように一つ一つに淡い上品な光沢を発する音色。聞けば1923年製だそうで戦前・戦後の一時期まで原智恵子女史や安川加壽子女史がたびたび演奏していたのだという。受付で手渡されたこのピアノにまつわるエピソードが印象的なので少し紹介する。


・・・・・

(略)昭和19年(1944)10月、この兼松講堂において本学学生の出征学徒壮行会が行われた。2、3の教授の壮行会でピアノ演奏をしたのが、日本人ピアニストの草分けとしてショパンコンクール(1937)に初めて入賞した「特別聴衆賞」も得て、世界中から「東洋の奇跡」と称えられた国際的な名ピアニスト・原智恵子(1914-2001)だった。
 彼女は13歳でパリに渡り、ラザール・レヴィ、コルトー、ルービンシュタインなどに師事、コンセルヴァトワール(パリ音楽院)を首席で卒業しピアニストとしてのキャリアを着実に歩み始めたちょうどその矢先、戦争のために帰国を余儀なくされていた。
 帰国後は、最も著名な演奏家の一人として、戦時色濃厚な中、芸術を求めて止まない人々の期待に応えて演奏を重ね、表現の自由が極度に制限された中でも、芸術としての本来持つ自由な精神を決して失わなかった意志の人でもあった。
 実は、当初、彼女は出征壮行会なら出演しないと固辞したと伝えられている。ところが、当時日本に3台しかないといわれたドイツ製ベヒシュタインピアノがあると聞いて、まさかと驚き、「そのピアノを弾かせていただくために…」ということで演奏が実現した。
 (略)そして演奏が終わると自ら進んで演壇に立ち挨拶した。
「本日は思いもよらぬ素晴らしい会にお招きいただき感激しております。ただいまは戦(いくさ)に向かう若者の情熱を讃えたショパンのポロネーズを演奏いたしました。行く日があれば必ず帰る日もあるはずです。ご凱旋のときにはぜひともまたお招きをいただきたい。みなさま、おすこやかに…」
 この美貌のピアニストは両手を前に固く結び、両眼からとめどもなく溢れ出る涙は頬を伝って流れ落ちていた。


引用元:兼松講堂のものがたり

・・・・・

私は、音楽を「あれがうまい」「これがうまい」だけで接しないように戒めているつもりだけれど、このような場面を綴った文章に出合うと「あぁ気をつけなきゃ」と改めて思う。今は本当に恵まれているのだ。恵まれていることは、もちろん「悪」ではないのだけれど。

ところで、本来講座用に用意されたピアノはYAMAHAさんのセミグランドだったようだ。こちらは準備万端調律もされてステージがあるとしたら、ちゃんとセンターにセッティングしてある。ところがA先生は、講堂の脇に無造作な感じで置かれている無調律のベヒシュタインにべったり。なかなか離れようとしない。

YAMAHAさんのは物理学的根拠を基に計算しつくされたボディーと発声で、音色も音量もそれなりで決して悪くはない。それはこの日聴いても同じ。クルマでいえば最新オートマ車を運転するように滑らか。一方ベヒシュタインは手触り楽しい骨董の感覚。スペック上では劣るクルマかもしれぬが、転がして楽しいのは断然こっち…と聴いていて思った。

音楽を用いた講義であったが、私はベヒを使ったFrançois Couperin (大クープラン)の「百合の花開く」が最も気にいった。

百合の高貴な花の匂いを感じさせる音色で…

2011年2月15日火曜日

一柳慧さんが語る「千年の響き」。 2/2


一柳さんと縁深いJohn Cage(ケージ)の作品
P.Zukofskyとのコラボレーションで創作

(続き)

一柳さんの話には共感することが多かった。

一柳慧さんといえば、個人的には、ヴァイオリニスト、Paul Zukofsky(P.ズーコフスキー)氏と仕事をされていたときに「聴き手の一人」として接し始めた記憶がある。人によってはオノ・ヨーコさんの元夫でご存知かもしれないが。

お話を聞いて私がうなったのは3つある。

1)(未来、前に進むために)日本音楽の原点に復帰する。

2)東洋の音楽にも西洋の音楽に決して劣らないコンセプト(≒哲学、考え方、論理)が実は存在するのだが、そこにまで踏み込んでいないことが多い。技術的な問題については解決しているのだが。

3)余り(西洋と東洋の)「融合」を考える必要はないと思う。元々のコンセプトはひとつだから。

上記は、何人かの質問者からの問いに答える形で引き出された。ひとつ目の発言にはなるほどと思い、二つ目の発言には勉強になった(そういえば全く同じことを東儀秀樹さんも仰っていたな)、三つ目の発言には強く共感を覚えた。

他に「絶対音感はほとんど通用しなくなってきているのではないか?」にも同感。私は20年くらい前から秘かに「絶対相対音感」と感覚的に名づけて自分なりの理解を持っている。いきなり論理が飛躍するが、音楽は、だから、合っているとか合っていないとか、たったそれだけの「軸」で聴くことのできない文化なのである。

ときどき「音楽の方向性や路線が違う」とか「違うアプローチで云々…」という…私には「怒りを越して悲しい」類の…言葉に出くわす。

私はクラシックを聴く、と同時にヒップホップの音楽にも興味がある。それは現代では避けて通れない文化だからだ。また歌謡曲(J-POPといっても良いけれど)には、源氏物語と時間を超えた共時性を感じるし、ドビュッシーやヴェーベルンからは古い壁をぶち破ろうという狂気な熱が聴こえる。平均律も純正律もWindowsとMACに似て同じく扱うし、つまり音楽をひとつの大きな河か海と思っている。流れは同じで還るところは全て同じ。つまり違わない。一緒。

2011年2月14日月曜日

甘竹簫・排簫に聴く「千年の響き」。 1/2


「阿弥陀二十五菩薩来迎図(「早来迎」)」から
排簫を手にしている菩薩のみをアップした動画



正倉院にある楽器、排簫(はいしょう)※ の響きや可能性を確かめに予定を急遽変えて神奈川県民ホールへ。お目当ての排簫は残念ながらスライドでの説明のみだったが、代わりに箜篌(くご)と、笙(しょう)、竽()、馬王堆の竽(まおうたいのう)の実演があった。一柳慧さん作曲「時の佇まいⅡ」を佐々木冬彦さんの箜篌、「時の佇まいⅠ」を馬王堆の竽でそれぞれ聴いた。

演奏方法が不明確のまま、手探りと論理的思考と直感を静かに総動員して音楽で表現することの面白さが伝わってきたが、この日は会議室での演奏。響く空間で供される日(2011.3.5)が楽しみである。

また、方響(ほうきょう)や編鐘(へんしょう)といった「旋律打楽器」を間近に見ることができた。実に懐かしい色んなものが混ざった明るい響きであった。

とにかく得がたい経験である。


※手元にある米田雄介・杉本一樹著『正倉院美術館』(講談社)によれば「排簫(はいしょう)」ではなく「甘竹簫(かんちくのしょう)」という楽器名のみとなっていた。

(続く)


参考URL
http://hibiki.shinnyo-en.or.jp/
http://www.kanagawa-kenminhall.com/event/event-41119.html


阿弥陀二十五菩薩来迎図(「早来迎」)
知恩院(国宝)
引用元:Wikipedia

排簫を手にしている菩薩がわかりますか?

2011年2月13日日曜日

Cello Congress in Japan 2011 2.12

カミサンの知人Fさんや、実践的アウトリーチ活動で私が尊敬してやまないM氏が件に出演するというので、サントリーホールへ。最も印象に残ったのはチェロに関わる人たちの層が厚くなったな…ということ。

総勢130人のチェリストがステージに載った後半は良かった。とりわけ、オルガンと組合せての「ラ・シーヌ」は気に入った。

ところで私が最も気になったのはそのM氏の会員番号。

当日配られたプログラムに日本チェロ協会会員一覧があった。各個人名の横にそれぞれ"№" が付いているのだが、M氏のそれはどう考えても意味ありげな番号である。

というのも「研究団体」創設に携わる可能性(あくまで「可能性」です。今のところ1%くらいかな…)が出てきたので、諸々ノウハウを聞いておきたいのです。

それでは今からハマ方面へ行って参ります。


P.S.
チェロ・アンサンブルを久しぶりに聴いて思うことは多々あった。また、いつか書きます。
結論だけ先に書くと、ヨーヨー・マさんはこれで終わってはいけない、ということです。

2011年2月12日土曜日

「冬はただの厄介者」


"Yver vous n'estes qu'un vilain"
 from Trois Chansons de Charles d'Orleans
by Claude Debussy


ドビュッシー:シャルル・ドルレアンによる3つの歌から
「冬よ、お前はただのやくざ者」




今から溜池に行かねば…。

「冬よ、どこかへ池!」

と叫んだところで今日も寒いです。

(以上、ドビュッシーメモ)

・・・

P.S.
KAITO MEIKO 初音ミクは現代日本の文化の一つだと思う。
ドビュッシーのこの作品を取り上げるとは!
嬉しくなったのでリンクをご紹介。
リンク先:http://www.youtube.com/watch?v=2ehO_Sq5Ju4

【突破する力】村松崇継さん Departure3



新しくなった銀座・YAMAHAさんでイヴェントを終えた村松さんは、少しの間も入れずに新型クラヴィノーヴァ収録の打ち合わせに入った。その次は、手がけているミュージカルを観に行く予定があるという。だが、指定時間までギリギリ間に合うかどうか…。急遽、クルマを使わずに銀座から北千住まで地下鉄で移動することになった。車内は帰宅時の乗客でいっぱいだったが辛うじて座れる空間があった。

車内でも周囲に気遣う物腰の柔らかな村松さんがそこにいた。どうでも良いような私の靴を褒めてくれるはいつものこと。私も、その方法を真似して他の人に靴褒めをやったが「コレ2足8,000円の安モンですヨ」なんて返ってきて、これ以上話しが進まないこともあった…汗。そんなくだらない話しはおいておき、この日は顔色が少し違っていたことを覚えている。寝る間も惜しんで仕事に勤しむ大変な状況や環境を伺った。それは深刻な感じだった。

目的の駅に着くと作曲家は劇場へ向けて走リ出した。

間に合うのか?

階段を駆け上がり劇場の扉へ。

間に合った!

ここまでやって…こんなにやって…

ちょっと泣けそうにもなったが、実際には、

ここまでできて!こんなにできて!…ではないか?と思う。

というのも、某日某所、ある大御所歌手のコンサートに行ったときのこと。予期せぬことに村松さんの音楽が歌われたのだが、私の隣に座っていた藝大作曲科出身の人が身を乗り出して注意深く聴き始めたのだ。それまで気持ち良さげにウトウトしていたのに。確か「いいなーこれ!」と言ったと思う。何気ないメロディーの中から聴こえる微妙な音程の動きや、シンプルで優しげなハーモニーに潜む複雑さを専門家の耳で感じ取っていた。こんな風景に出合うと大変嬉しい。

それからもうひとつ。

音楽は「聴いてみたい」という感覚も大切だし、創作者の「聴かせたい」「聴いて欲しい」も重要だけれど、「演奏してみたい」「歌ってみたい」という関わり方がその人の人生を支え、豊かにし、幸せにする。村松さんの音楽が「耳コピ」で動画サイトにアップされる数と、おびただしいアクセス数を見ると、ああ、音楽を通して人を幸せにしているのだな、と思う。

コンポーザーピアニスト、村松崇継さんには天が与えた才能があると私は信じている。

ますます大きく飛翔されますよう。

(完)

引用元:http://globe.asahi.com/breakthrough/110110/01_01.html








「2年前に事務所をやめた…」の箇所を読んで、改めてインタビューという行為は難しいなと思った。2年前は「前の前の事務所」のことではないかと思う。"Departure"を含むアルバムがリリースされたのは「前の事務所時代」だったのはファンならご存知と思う。もちろん現在の所属先事務所は大変素晴らしいところで、これまでにないメガ級ヒットが出ることを私は応援しています。

2011年2月11日金曜日

【突破する力】村松崇継さん Departure2

映画「大奥」公式サイト:http://ohoku.jp/

(続き)

あれは渋谷駅だったか新宿駅だったか。はたまた自宅最寄の地下鉄駅だったか…映画『大奥』の駅看板を目にしたときは本当に嬉しかった。近年の邦画ではめったにない巨大サイズの駅看板。「お金がかかっている良い映画だな~(笑)」と思いつつ「音楽・村松崇継」の名前を確認して「ヨッシャー!!」と小さくガッツポーズ。

二宮和也さんと柴咲コウさんが出演することで話題に事欠かない映画であったし、実際、興行成績は良くランキングも上位のヒット作であったわけだが、私には文化的側面から観ても感心できる映画のひとつではなかったか?と思っている。近世の「使い古したお話し」が、コミックという日本の現代文化を触媒にして…と、多くの「仕掛け」が入っている。

観る者は脳みそを逆転にしながらストーリーと場面を追うが、一種安心感をもたらすのは多分に音楽せいかもしれない。人物と台本と場面の間に音楽が入ってくる。それも優しいオーラのように、ときどき覚醒させる雷のように大胆に。音楽は・・・そう村松崇継さんである。

泣けるような高純度の音楽。人の痛さ辛さ。そして救い…聴こえるのは「村松節」。

インタヴューでは、

作曲家アラン・シルヴェストリに弟子入りを求めたけれど断られたことや、少年合唱団LIBERAとのコラボを渋るプロデューサーに「一度歌ってみてください」と食らいつき、結果リリースされると10万枚を売るヒットを生んだことも語られるが、何よりお母様の言葉が心に響く。

「今があるのは、あのころの苦しみがあったから」。

「あのころ」をいつ?と特定するのは野暮なことなのでやめておこう。大事なのは、村松さんは小学生から成人するまでの間に、芸術家になるための社会的、人間的経験を相当に積んでいたということである。しかも、村松さんの本分やオリジナリティを失わずに。いかにも天才に相応しい早熟な人生体験といっても良いが、言葉でいうほど簡単なことではない。大学卒業後一時期「会社員」として仕事をしていたこともあったと聞いた。そのために必要な資格を取得したとも。

成功と辛苦。理不尽な出来事。想像も尽かぬ葛藤。それらを大学を卒業する前に「演奏家」ではなくて「作曲」という分野で経験しているのは、稀有な例ではないか?と思う。

(続く)

引用元:http://globe.asahi.com/breakthrough/110110/01_01.html

2011年2月10日木曜日

【突破する力】村松崇継さん Departure1

 Takatsugu Muramatsu
(C)HFM



朝日新聞GLOBE』さん連載の「突破する力」には、いつも興味深い人が登場する。

指揮者の大野和士(Kazushi Ono)さんに始まって、サッカー選手の中村俊輔さんや、作曲家の藤倉大(Dai Fujikura)さん、指揮者の上岡敏之(Toshiyuki kamioka)さん、与那国海塩社長の伊藤典子さん、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さん、バレエダンサー吉田都(Miyako Yoshida)さん、サッカー日本代表前監督の岡田武史さん等、現代の日本を代表する人物が集まっている。いや、ただ、集めているばかりではなく、何を考えているか?自らを「分析」させる趣向がとても面白い。

連載48回目は、我らが作曲家・ピアニストの村松崇継 (Takatsugu Muramatsu)さんであった。

某月某日…。

あれは確か中目黒の野菜がめっぽう旨いイタリアン・レストランで、村松さんとご一緒させてもらったときのこと。会話の途中で音楽大学作曲科における作曲家の勉強法が話題になった。


「音大では明けても暮れても12音技法による作曲で…」
「譜面審査という音を出さないで音楽を審査する…」


もちろん、そんなマジメな話しばかりではなくて、蜂蜜専用の小さな小さなスプーンがついてくるお料理を注文して「ほらほら見て~凄いでしょ。こんなにちっちゃいよ…」と蜂蜜をかけるサーヴィスをしてくれたり(その間我々はまるで飼い主に忠実な「待て」状態であった^^;)、甘口の葡萄酒をゆっくり楽しんだり、最後は王子セレクトによるドルチェで盛り上がったり…と楽しい時間だったが何か示唆することが多々あった。

インタヴューでは、

「国立音大作曲学科に在籍しながら、ゴスペル、ロックの音楽家らと、ライブハウスで演奏に明け暮れていた。」と。

なるほど、そのようにして市場に合う感性とバランス感覚を磨かれたか。

「こどものころから曲を作り、その数はすでに1万曲以上ある。」

…は、改めて聞くと何と凄い数字ではないか!まさに「人生=作曲」である。しかもその若さでその年齢で!つまり、半端じゃない音楽への接し方、愛情、溢れんばかりの才能を窺い知ることができる。それでいて、村松さんの素晴らしいところは、ピアノが本当にお上手なこと。

「上手」だなんて、作曲科出身だから当たり前じゃないか?という人もおられるだろうが、いえいえ、ステージに載って人前で演奏して感動させるのは「上手」というレヴェルでは難しいんです。圧倒的な技術の懐の深さがなければ、メロディーを歌って「センスを醸し出す」なんて困難。

(続く)

引用元:http://globe.asahi.com/breakthrough/110110/01_01.html

2011年2月7日月曜日

いよいよ本番!フランス・ブリュッヘン、ベートーヴェン・プロジェクト


Frans Brüggen(F.ブリュッヘン)氏プロデュースによる"Beethoven Project"
いよいよ2011年2月8日(火)から本番です。

・・・・

第1回:2月8日(火)19:15開演
交響曲第1番 ハ長調 op.21「第1番は明らかにハイドンからの流れを継承する交響曲」
交響曲第2番 ニ長調 op.36 「さらに発展させる形でハイドンから培われたものを継承した交響曲」
交響曲第3番 変ホ長調『英雄』 op.55「『英雄』はナポレオン、英雄伝、ヒロイズムが謳われる」

第2回:2月11日(金・祝)15:00開演
交響曲第4番 変ロ長調 op.60 「明確にわからないが、一歩戻り」
交響曲第5番 ハ短調『運命』 op.67 「声高らかに自由を謳った交響曲」

第3回:2月16日(水)19:15開演
交響曲第6番 ヘ長調『田園』 op.68 「自然を謳った交響曲」
交響曲第7番 イ長調 op.92「戦いのシンフォニー」

第4回:2月19日(土)15:00開演
交響曲第8番 ヘ長調 op.93「メカニックな要素を含む交響曲」
交響曲第9番 ニ短調『合唱付き』 op.125「全人類すべての人への讃歌として書かれた交響曲」


※上記「」はブリュッヘン氏が記者会見で語った9つのシンフォニーに対する「見立て」です。

・・・・

指揮:フランス・ブリュッヘン
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

ソプラノ:リーサ・ラーション
アルト:ウィルケ・テ・ブルメルストゥルーテ
テノール:ベンジャミン・ヒューレット
バリトン:デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン
合唱:栗友会合唱団
合唱指揮:栗山文昭

主催:すみだトリフォニーホール/財団法人 新日本フィルハーモニー交響楽団
協賛:SMK株式会社/UBS証券会社
後援:オランダ王国大使館/日蘭協会
平成22年度文化庁芸術拠点形成事業

ベートーヴェン・プロジェクト:

新日本フィルハーモニー交響楽団:
http://www.njp.or.jp/njp/information/index.html

朝日新聞さんの記事:
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201102020239.html

毎日新聞さんの記事:
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110203dde012040024000c.html

まめびとさんによる秀逸なオリジナル記事:
http://mamebito01.exblog.jp/15462079/


記者会見では"Schubert Project"の可能性について言及していました。多少気の早いことでもありますが、とにもかくにも目の前に控えた今回の公演を成功させねばなりませんので、ブリュッヘン・ファンの方、ご興味のある方、ぜひお足をお運びください。また蛇足になりますがシューベルトの動画を添付しておきます。オケはNJPさんでなく悪しからずですが、私はこういった動画があると大いにそそられるのです。同時にシューベルトの出現をイメージしながらベートーヴェンを鑑賞することは、現代人に与えられた方法でもあって面白いかもしれませんね。
















新進音楽家コンベンション等に出向く機会がある私としては、今回の記者会見は課題を感じました。いつか気が向けば書きますが、今はマーケットを支える者の一人としてプロジェクトの大成功を祈ります。

2011年2月6日日曜日

作曲家・ピアニスト、オリヴィエ・グレフの親密な世界



Leonard Bernstein(バーンスタイン)1918-1990 とのツーショットを見ると、何か…気になる方がいらっしゃるかもしれないです。





名手Henri Barda(アンリ・バルダ)は、F.Chopin(ショパン)を演奏するよりも、ずっと一層親密に向き合っている気がします。

・・・・・

Olivier Greifオリヴィエ・.グレフ)1950-2000 の親密な世界。
音楽家たちはもう少し取り上げても良いと思いますが、いかがでしょう?

2011年2月5日土曜日

ロベルト・シューマン:ゲノフェーファ




あるピアニスト先生からR.Schumann(ロベルト・シューマン)の珍しいオペラ(Genoveva)があるから観に行かない?とお誘いを受けたので新国立劇場へ。

「珍しいオペラ」といえば東京室内歌劇場さん。本日は同歌劇場42期第129回定期公演でした(中劇場にて)。この珍しい作品は2006年に芸大オーケストラが演奏会形式で取り上げていますが、今回は「日本舞台初演」。尚、昨夜の公演では皇太子さまもご臨席されたとのことです。

批評は林田さん始め多数の方が書かれているので、今更私の出る幕はありませんが、シューマンの音楽を聴くとき、私は妻・Clara Schumann(クララ・シューマン)はどう感じ取っていたのだろう?逆にロベルトはどうように聴かせたかったのだろう?…みたいなことを考えてしまう「悪しき習慣」があります。クララがこの「オペラ」をちゃんとピアノ版として仕立て上げているので、仔細に見れば何かが分かってくるかも知れません(ピアニスト先生に食事しながら見せてもらいました)。

当日のプログラムにあった佐藤英さんの秀逸な解説には、

「このオペラの主要な登場人物たちが、善とも悪とも明確に定めがたい要素を秘めていることに気付かされる。こうした作風の台本は、19世紀の聴衆には歓迎されなかったかもしれない。」

とありました。

「オペラ」という枠組みで鑑賞するならば「筋読み」に見合った展開が不十分かと。演出は、ですから饒舌にならざるを得ない側面があったのかな?とも。とにかく説明を積み重ねて言語表現(台本)を試みることを、どこかで放棄したような印象を受けます。「歌芝居付き交響詩」のような感覚なら楽しめるかも?という妙な気分に陥りました。

そうそう和田さんのジークフリートは素晴らしく前川さんのゲノフェーファも大変良かったです。
管弦楽は…。1850年初演時はこんな感じかな?と思い巡らせながら聴きましたが、ともかく、今回の公演に携わった皆さまには貴重な機会を頂きました。有難うございます。

その後、オペラシティ内で見つけた格安レストランで食事。

「万歳ジークフリート!」
「万歳ゲノフェーファ!」

と同行編集女史も一緒に乾杯して帰途につきました。

2011年2月4日金曜日

藤沢宏光著『図解 音楽業界ハンドブック Ver.1』(東洋経済新報社)

藤沢宏光著『図解 音楽業界ハンドブック Ver.1』
(東洋経済新報社)2007年


やや古い本ですが類似書の中でも良い本の一つだと思います。

書評でも感想でもなく、私にとって気になった箇所を抜き出しますと、


・・・・・


現在のオモテ音楽業界は、言ってみれば長年の慣習が支配する談合社会です。(丸山茂雄氏)


・・・・


ひと言。

すっかり慣習の中で成立している世界がどのように変化を遂げなければならないのか?

あるいは遂げたいのか?はたまた遂げることができるのか??

2011年2月3日木曜日

ギネス世界記録TM更新に挑戦!横山幸雄ショパン・ピアノソロ全201曲コンサート

<~あの感動をもう一度!ギネス世界記録TM更新に挑戦!~『TOKYO FM ギネス世界記録挑戦 横山幸雄ショパン・ピアノソロ全201曲コンサート』>


2011年5月3日(火・祝)
@東京オペラシティ
曲目:ショパンのピアノ曲(ソロ)全曲(201曲)およそ18時間
出演:ピアニスト横山幸雄
7時30分~25時40分 全12パート4部制

●第一部 朝7時半より
パート1 7時30分~8時40分
~15分休憩~
パート2 8時55分~10時05分
~15分休憩~
パート3 10時20分~11時30分
~30分休憩~
●第二部 12時より
パート1 12時00分~13時10分
~15分休憩~
パート2 13時25分~14時35分
~15分休憩~
パート3 14時50分~16時00分
~60分休憩~
●第三部 夕方5時より
パート1 17時00分~18時10分
~15分休憩~
パート2 18時25分~19時35分
~15分休憩~
パート3 19時50分~21時00分
~30分休憩~
●第四部 夜9時半より
パート1 21時30分~22時40分
~15分休憩~
パート2 22時55分~23時05分
~15分休憩~
パート3 24時20分~25時30分
~ギネス更新セレモニー~
25時40分終了予定

※このコンサートの模様は、「TOKYO FMホリデースペシャル」として生中継で放送し、ショパンの生涯にまつわるエピソードとともにその熱気を伝えます。

引用元:http://www.barks.jp/news/?id=1000067412&p=0



凄すぎる…しかも暗譜…
生中継されるのでオペラシティに行けない方々もぜひお聴きください!
空前絶後な試みにはオーディエンスの応援する姿勢も絶対大事。

Shibuya 某所にて…

某プロダクション社長氏とお好み焼きへ。

道玄坂から込み入った場所に店を構えるが、美しくも渋い大御所JAZZ MENたちがBGMを奏でる趣味空間で、熱き鉄板を前にして鮮やかな「コテ」二刀流の手さばきで社長氏が焼く。

社長氏とは、Martha Argerich (アルゲリッチ)さんが、果たして新日本フィル定期公演で協奏曲を弾くか否かで焼酎一杯を賭けていた。が、私の完敗にて乾杯(本当はわざと負けたんです、と負け惜しみ)。


在京オーケストラの存在意義、
近未来型のコンサートのあり方、
メジャーレーベルと既存のメディア、
小澤征爾さん、
マーラー、
ロストロポーヴィチ、
新日本フィル、
都響、
N響、
JAZZ、
映像と音楽、

その他、多数多岐に及ぶ。


その後、ピエール・バルー氏プロデュースの店へお連れした。
グランドピアノとステージが良い感じでこの界隈には滅多にない空間。

「いいねぇ」とひたすら唸っていた。

早速ブッキング担当ディレクター氏と話しを進めている。
何やら面白い試みになりそう。

私はユリ・ケイン・アンサンブルみたいなモノをやろうかな…笑

お店は⇒ http://www.saravah.jp/tokyo/

できたてのほやほやですので、興味あらばぜひ!

2011年2月2日水曜日

Richter は本当に端役だった!

(続き)


「まあ 端役だけどね」

「映画『作曲家グリンカ』のリスト役は私だ」





「まあ 端役だけどね」






「まあ 端役だけどね」





以下引用元:Wikipedia 映画「グリンカ」より(2011.2.1現在)
クリックすると大きくなります





「まあ 端役だけどね」



確かにCASTに名前がクレジットされていない。

Franz Liszt-Sviatoslav Richter  の名前が…

嗚呼…




この映画は1946年にリリースされました。リヒテルは1945年に全ソビエト音楽コンクールピアノ部門で第1位を受賞しています。30歳!で。この歳で優勝だなんて…昨今の音楽ファンはどのように受け止めるでしょうか?音楽大学で「専門教育」を受けたのがハタチを過ぎてからとはいえ。

ところで、リヒテルはこの全ソ連コンクールについて次のように述べています。


・・・・・

この賞のおかげで、彼らとしては私のコンサートのチラシに「私がこれこれの受賞者」と書けるようになり、のちには「レーニン賞」とか「社会主義の仕事の英雄」とか「ソ連人民の芸術家」とかいう文句まで添えられるようになったのです。こうした無意味な称号が大好きなのが、ソ連人の気質です。



・・・・・

 
うーん「無意味な称号」か。

リスト役に抜擢された理由は様々でしょうが、「全ソ連コンクール1位」が後押しになったと思います。でも、リヒテル自身は一連の「無意味な称号」の一つにしか過ぎないと感じている。

なるほど、映画を製作した人たちの認識…つまり代表CASTに名前をクレジットしない、そんな扱い!…によって何となく、称号の「無意味」さを証明している気がします。確かに、当時はリヒテルの師匠筋先輩筋にあたる偉大な芸術家ピアニストがたくさんいて、比べればデビュー間もない新人ではあった。けれど決して一介の新人ではない。旧共産圏の国のこと。いちいちコンクールに政治的介入がありましたから。旧ソ連という国、リヒテルの苦悩…複雑なモノを私は感じます。

「健全な考え」でいえば、例えば、人気絶頂のピアニスト、Lang Lang (ラン・ラン)やKrystian Zimerman (K.ツィメルマン)が映画で役をもらってピアノ演奏するとなれば、たとえ「端役」でも名前くらいは出るとは思いますが、それは一種の産業的思考に基づく考えかもしれません。「健全」といいつつも。

まあ、映画に出るも出ないも、名前が出るも出ないも、色んな(はかり知れない)事情が芸術家の活動につきまとう、ということです。

多くを遺してくれた大天才ピアニスト、リヒテルの人生のヒトコマ。

私は常人離れした、しかし人間臭いリヒテルが好きです。

2011年2月1日火曜日

映画 "Glinka” に観るコンサートのあり方

(続き)


それからコンサートのあり方について少々…


この映画、ステージの設営場所といい、座席の配置といい、お花の渡し方といい、素材(楽譜)選びのパフォーマンスといい、「目の前で起きていることは凄い」と感じれば、ちゃんとトロイカでグリンカ先生を呼んでくる手配力というか場の盛り上げ方といい、全てがアナログなんだけれどライヴ演奏の一つ一つが尊く貴いモノであることを皆が心得ている良き時代であったのだな、ということ(背景が「絵」なのはさて置いて)。

勿論、これらは映画の中の出来事ではありますが、しかし、Glenn Gold (グールド)がモスクワで演奏したときも似た現象が起きた(感動した聴衆が次々に知人や友人に電話をして聴きに来ることを勧めた)という話しもあります。

今ならケータイで電話もできるしTwitterを使って広めることも可能。実際、アーティスト自ら休憩中に何らかの「コミュニケーション」を取る時代でもある。それはそれで可能性が広がる一方、現代のコンサート運営がやや硬直しているのを感じるのは私だけだろうか?「硬直」とはシステマティックともいえるわけで、そのお陰で興行が大変に増えてきているのは間違いないのですが。


これは主にクラシックのコンサートについて。


それから最後に一つ。
これは結構大事なんです。

(続く)

2011年1月31日月曜日

ピアニスト・S.Richter (リヒテル)、映画デビュー !?




The Great Glinka”1946 Soviet Union (映画『グリンカ』)より名場面。

F.Liszt (リスト)役として Sviatoslav Richter (S.リヒテル) が出演したのは31歳のとき。

作品は Liszt - Tscherkessenmarsch aus Russlan und Ludmilla, S.406 です。

リヒテルファンならご存知の方も多いこの映画ですが、私が注目したいのは3つあります。


・・・・・


「私の最初の本格的「作品」は、当然ながらオペラでした」


引用元:B.Monsaingeon(モンサンジョン)著 中地義和・鈴木圭介訳『リヒテル』(筑摩書房)


リヒテルという人は、15歳で地域のクラブに出入りし歌手やヴァイオリニスト、あるいはバレエやサーカスの伴奏を、それもステージに上がってからのぶっつけ本番の初見で、それこそお金を稼ぎながらキャリアを積みあげた人。ついには、オペラハウスのコレペティートア(練習ピアニスト)になったくらい。要はレッスン室じゃなくて演劇を含めた総合芸術の舞台で育ったようなものなんです。

まあ観てください!

髪を振り乱しながらの肘上げスタイル!華麗なる指運び!表情豊かな手首!演奏後グリンカ先生に駆け寄る颯爽たる身のこなし!リスト様専売特許の白手袋はサマになっているし、腕を組むポーズ!いくつかの台詞も!


私は良い役者振りと思いますがいかがでしょう?
リヒテルそのままじゃないの?という見解もあるかもしれませんが。


今だったら新聞見出しには、

「最強のリスト弾き現る!」
「本当のリスト弾きここに!」
「天才リヒテル氏熱演!」

…でしょうか?

(続く)

2011年1月30日日曜日

ピアニスト・小林愛実(Aimi.Kobayashi)、女優デビュー

世界的指揮者の小澤征爾氏(75)プロデュースで4月に米国公演を行う中学3年生の天才ピアニスト小林愛実(こばやし・あいみ、15)さんが女優デビューする。映画「ネムリユスリカ」(11月公開)で…(以下詳細はここ


引用元:http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/01/29/kiji/K20110129000141030.html
「ネムリユスリカ」予告編:http://www.youtube.com/watch?v=HGcesJkaOB0
参考URL:http://www.emimusic.jp/artist/aimi/


・・・


何事をも芸道のバネにしてしまう能力・才覚は、恐るべしと思います。
大事なのは良し悪しではなく歴史のひとコマであることと、これからどうなってゆくのか?です。

寒中お見舞い申し上げます

ある御方から寒中見舞いが届いた

ご丁寧な挨拶文の余白にこうあった

「とりあえず・・・の原稿730枚(!)をわたしました」



物凄く楽しみ

それにしても膨大な枚数

そして何たる早業!

それも凄い!!

音楽好きはお楽しみに…

2011年1月29日土曜日

Mahler 「私はこの世に忘れられ」 没後100年記念 3/3


Goldberghaus in Coburg, Wirkstätte des Dichters Friedrich Rückert
引用元:Wikipedia

私はこの世に忘れられ…

詩が琴線に触れると寄り添うように音楽を創る

誇大複雑ではなく内省単純にときに若書き風


Gustav Mahler 1860-1911
 (Emil Orlik 1902)

伝統継承者は交響曲作家たることが必然な時代

でも 詩に託したときの音楽の自然体といったら!

私的なマーラー 私にはしっくりきます


Friedrich Rueckert 1788-1866
(Carl Barth)

Ich bin der Welt abhanden gekommen


Ich bin der Welt abhanden gekommen,
Mit der ich sonst viele Zeit verdorben,
Sie hat so lange nichts von mir vernommen,
Sie mag wohl glauben, ich sei gestorben!

Es ist mir auch gar nichts daran gelegen,
Ob sie mich für gestorben hält,
Ich kann auch gar nichts sagen dagegen,
Denn wirklich bin ich gestorben der Welt.

Ich bin gestorben dem Weltgetümmel,
Und ruh' in einem stillen Gebiet!
Ich leb' allein in meinem Himmel,
In meinem Lieben, in meinem Lied!

Friedrich Rückert (1788-1866)



I am lost to the world
with which I used to waste so much time,
It has heard nothing from me for so long
that it may very well believe that I am dead!

It is of no consequence to me
Whether it thinks me dead;
I cannot deny it,
for I really am dead to the world.

I am dead to the world's tumult,
And I rest in a quiet realm!
I live alone in my heaven,
In my love and in my song!

Translation by Emily Ezust



私はこの世に忘れられた。
私は世と共に多くの時を浪費したが、
今や世は私の消息を聞かなくなって久しい。
私は死んでしまったのだと、世は思うだろう。
世が私を死んだ人と思っても、
私にはどうでも良いことだ。
またそれに反対することもできない。
私はこの世から本当に死んでしまったから。
世の騒音から私は死んでしまい、
しずかな所にやすらいでいる。
私はひとり私の天の中に、そしてまた
私の愛と私の歌の中に生きている。

訳詩:渡辺護さん
引用元:POCG-9566のブックレット
※素敵な訳詩が他にもあります。長木誠司さん、西野茂雄さん…多数。



そして、美しい動画。
まさに総合芸術としての”muse”そのものも。


マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌曲から「私はこの世に忘れられ」


・・

GM没後100年記念
※大意同じで当初より文章変更しました。

2011年1月28日金曜日

Ken Russell の映画 ”Mahler” 没後100年記念 2/3


MAHLER (1974) - Theatrical trailer


Ken RussellK.ラッセル)1927- 氏が映画で表現する Mahler (1974) は中々的を得ていると私は思います。

観えてくるのは「人間なんて所詮こんなものなんだ」という一種「あるがまま」を受け入れることのできぬ必死の抵抗。その「抵抗」を、技巧の極致、才能のあらん限りを尽くして音楽芸術に託したのがマーラーだったか…。私見です。

そういえばこの監督さんは、今年生誕200年を迎えるF.Liszt (リスト)も映画に仕立て上げていましたね。

2011年1月27日木曜日

「Mahler なんて私はまっぴらごめん。」 没後100年記念 1/3

Klaus Umbach 著
『異端のマエストロ チェリビダッケ』(音楽之友社)


「…彼は頭が混乱していました―足と手のあるサナダムシ。(略)―人非人。交響曲第五番の第1楽章を理解したというならば、嘘つきだ―ほら吹き。マーラーなんて私はまっぴらごめん。」

引用元:Klaus Umbach (K.ウムバッハ)著 斉藤純一郎、カールステン・井口俊子訳『異端のマエストロ チェリビダッケ』(音楽之友社)より


・・・・・

私は特段なSergiu Celibidache (S.チェリビダッケ)1912-1996 信奉者ではありません。
ただ、氏の格別な能力と、氏が創造的再現した世界に度肝を抜かれたことがあります。
それは「素晴らしい」という賛辞を超越した、まさに有無を言わさない特別な音楽体験。
超越した「特別な音楽体験」は、実はマーラーの音楽そのものでもあります。
チェリ師のこの言葉は、毒をもって毒を制す…というか解毒させたというべきか。
私にとっては当意即妙。膝を打つ部分はあります。が、
人間臭い精神世界を表現したマーラーの音楽を聴くことは、妙に楽しいことでもあります。

2011年1月26日水曜日

創立20周年記念パーティー

某月某日某所

KING INTERNATIONALさんの創立20周年記念パーティーへ。

優雅且つ始終大人なムードで進行。

音楽評論家・指揮者の宇野巧芳さんの式辞がまず印象に残った。

社長の天沼さんとは40年以上のおつき合いだそうで、宇野さん40代天沼さん20代のときから続く間柄だそうだ。お二人の間に存在する音楽に対する熱い情熱を淡々と語っていらっしゃった。40年経って「淡々」というのが良いと感じた。若いときは熱かったと思う。衝突もしただろうか?

折りを見て社長の天沼さんのもとへご挨拶。「顧客を創造すること」…といったP.F.Drucker(ドラッカー)ネタで少し盛り上がった。それは意外な共通ネタであり「いつかフリートークを」ということに。

BACH COLLEGIUM JAPAN鈴木雅明さんはユーモアに富んだ式辞。

BCJの活動を始める前、日本企業各社に助成のお願いに回ったが全て断られ(何でも「そんな無謀なことはお止めなさい」というご意見もあったそうだ)、結局BISが支援を申し出てくれたというお話し。今の輝かしいご活動や成果から遡って見れば深く考えさせられる内容だった。でも「このようなハレの日に似つかわしくない『バッハのモテット(≒お葬式に用いた)を、BCJメンバーと全く響かないパーティ会場で演奏して…笑』と、どっと会場を沸かす。その後、雅明さん秀美さんと少しお話しを。

グランドスラムの平林直哉さん、BISのRobert von Bahr社長、尊敬するORFEOのChristiane Delank女史、Harmonia Mundi FranceのJB氏、NaiveのDidier Martin氏に加えて、台湾WIND RECORDSや中国CHINA RECORDSからも重役が来日。T社のM氏、K氏、S社のC氏、S社のH氏、K社のT氏、K氏、この日のウグイス譲M女史、その妹M女史、Y氏、K氏、それに上記バール氏から「智恵袋」と絶賛されていたM氏、N社のY氏等多士済々。イニシャルばかり…汗

帰り際、素敵な記念品を。
形状と音から察するに…これは10年後の楽しみにとっておこう。

20年なんて会社にとっては「まだまだ子供の域だよ」…という式辞をされた御方もいらしゃった。

10年後は色んなことが変わっていると思う。
だけれど音楽は存在している。

その後急いでサントリーホールへ。

Valery Gergiev(ゲルギエフ)指揮 London Symphony Orchestra (ロンドン交響楽団)によるMahler (マーラー)Symphony №9 を。

私はこの音楽を聴くたびに「ああ西洋音楽のまぎれもない到達点である」(等と、西洋文化に本当の根っこを持たない私が軽々に書くのもどうかと思うが)と同時に、「むむ、超誇大妄想で超大袈裟だな~」とも思うのです。なぜか?

大聖堂の如き巨大な建造物の中へ入る。眼前に高貴で素晴らしい世界が広がる。が、その世界の実体に触れようとした途端全てハリボテ(空虚)であった…というような感覚を持つ。なぜかはわからない。いやいや何を書いているかわからない?!…こんなことをつい書かせてしまう要素を本質に孕んでいると。私見です。

そんな私にとって「第九」で感動するかどうかの分水嶺は、演奏家達の「汗」という現実。どれだけ汗をかいて演奏に取り組んだか?という異常に人間臭い行為が感動の世界へ導く。その意味で、掌(てのひら)をプルプルッとさせながら音楽を歩ませ凹ませ波打たせて、しかも大汗かきの指揮と三途の川幅もないくらいにちょっぴり向こう岸に構えるハイスペックオーケストラLSOの組合せは、名演といえる部類。

高度に集中して堪能した聴衆が熱い拍手と静かな空気で演奏後の余韻と余白を創りました。

先の鈴木雅明氏のお姿も会場にあり。K社のM氏ともばったり。たまたまお目にかかった批評家の林田氏からは「尺八+琵琶+Pianoの音源送れ」と。何でもウィーン人音楽学者に聴いて頂けるとのこと。有難いことです。感謝。

2011年1月25日火曜日

ピアノ技術者、荒木さん

ショパンコンクール2010 入賞者ガラ・コンサート

長い一日でした。
昨年でショパンは終わりと思いきや、そのショパンコンクールでの、入賞者のコンサートで、3時間というショパンづくしの内容でした。
(略)
さて、5人が同じピアノを弾くのですから、ピアノに対して注文はほとんどありません。
というかできないものです。
なので、終わった後の舞台袖で、感想をなんと言っていたか、ちょっとだけお伝えします。

以下詳細は荒木さんのBlog

・・・・

いつも良いお仕事をされてらっしゃいますね。
鉛入れ調整とか…マニアックなことを随分教えて頂きました。
かなり前ですけどその節は有難うございました。
Tallone(タローネ)のピアノは元気でしょうか?
また工房にお邪魔して教えて頂こうと思います。

2011年1月24日月曜日

「今、オーケストラに何を求めるか?」 2/2

(続き)

以下は、登壇者の発言の中から私が関心を持った「キーワード」です。ここでは50音順に並べています。赤色文字は「こんな言葉を用いてテーマを語ってくれると良いな」と、私が希望観測的に勝手に描いた「キーワード」となります。

★の数は発言回数(累計)の多さに比例します。「-」は発言なしです。厳密にカウントした訳ではありませんので誤差があると思いますが、大よそでも、発言者の思考がどのような傾向にあるか掴めれば良いと考え書き出しています。


アイディア-
足を運ぶ
荒川静香
一極集中
音楽的芸術的投資
可処分時間-
可処分所得-
近代化
経済効率(効果)★★★
工業化
顧客-
顧客価値(「価値多様性」にて)
顧客の創造-
サーヴィス-
幸せ(「幸福追求」等含)★★
指揮者
資本主義
市民感覚
市民社会★★★
弱肉強食
浄財
助成★★★
進化
人口
水中動物
税金
生産性
贅沢
西洋化★★
宣伝
戦略
地域★★
Twitter(「書き込み」にて)
強みを生かす
東京
生の音
入場料
人間として大事
ネットワーク
非営利の組織-
非効率
フランス革命
プログラム
文化★★★
暴動
マーケット(「市場」等含)-
マイノリティ★★
マジョリティ
無駄★★
メディア
USTREAM(「ネット中継」にて)
陸上動物
歴史★★★



ブレストのための「フリートーク」としては成功していました。テーマが大きいので、今回はこれで良いのでしょう。

そこを踏まえて、列挙した「キーワード」を眺めておりますと、組織活動に必要な「戦略」が次に必要ではないか?と感じました。「戦略」を理解した上でのフリートークなら、短期長期的に具体的なことが見えてくるのではないかと思います。

もちろん「戦略」といっても、特に読響さんは大新聞とテレビが母体であり、またオケ組織の性格上、政官財+民含め驚くほど多様で難儀な調整が必要なはず。それらを包括した「戦略」を、どこの誰がどのような責任を持って構築するのか?民間企業と違って見えにくい構造に今は置かれているなと感じました。

更に読響さん以外のプロ団体も視野に入れて、日本のオーケストラとしての強みを生かす「戦略」を構築するとなると容易なことではないです。ただ、ここを考える組織やチームがこれから必要になるでしょう。

余談ですが、もし同じようなイヴェントをベルリン・フィルという「カイシャ」がやれば、何名かの団員も登壇するだろうな、と思いました。私も、もし自分の「カイシャ」が議論のテーマになり、しかも自社がイヴェントを主催するならば、発言せずともその場に居合わせなきゃ…という感覚は芽生えるかな…というより「参加しろ」と命令が出る可能性大。

団員さんの中には、私服に着替え客席にいた方もおられたと思いますが、さっきまで汗をかいて演奏していた団員さんが登壇すれば、聴衆との結びつきがより多面的で強固になる気がします。「この人が振るこのオケを聴きたい」に加えて「こんな人が演奏するこのオケを聴きたい」という要素も加わるからです。私見ですが。

会場にはテレビカメラがありましたのでこの模様は放送されるかもしれません。

関連ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ajskrim07/e/53311d355dddc46a71544b7252227700

2011年1月23日日曜日

「今、オーケストラに何を求めるか?」 1/2

読売日本交響楽団は、1月22日(土)18:00、サントリーホールで開演する定期演奏会が500回を迎えるのを記念して、終演後(20:00開始予定)、舞台上にて下記の通りアフタートークを開催します。
テーマ:「今、オーケストラに何を求めるか?」
 出演:西村 朗(作曲家)
    片山杜秀(音楽評論家)
    江川紹子(ジャーナリスト)
    下野竜也(読響 正指揮者)
   司会:横田弘幸(読響 理事長)

当日ご来場のお客様はどなたもご参加いただけます。この機会に、オーケストラの可能性をお客様と一緒に考える契機になれば嬉しく思います。

引用元:http://yomikyo.or.jp/cat8/index.php#news-topics-999


…ということで行ってきました。

定期演奏会は500回記念に相応しく満席にて大変盛り上がっていました。
その後件のアフタートーク。聴衆は500名くらいでしょうか?
私はその数は多いと感じました。


以下、登壇者の発言から私が関心を持った箇所の要旨・印象です。


片山さんは相変わらず面白い御方。味があるというか…聴衆に対して警戒心を解くような軽妙洒脱なゼスチャーで登壇しておきながら、爆弾発言(本日はありませんでしたが)で煙に巻くといういつもの片山さん流話術にまず座布団1枚進呈!(深刻にスタートさせなかったという点で)。

西村さんはオーケストラを「法隆寺の五重塔のようなもの」と。つまり、奈良時代の大工みたいに立派な工具を用いずに人力だけで建築するのは、実は現代ではほとんど不可能であって100人のオーケストラから音が出るというのは、まさにそのような文化遺産と同じではないか?と作曲家・西村さんの個人的意見が上品に炸裂。

江川さんは最後の締めくくりで、年末の「ベートーヴェンは凄い!全交響曲連続演奏会」のプロジェクトについて言及。日テレさんを考慮してか”Ustream”を「ネット中継」”Twitter”を「書き込み」と言い換えてその可能性を評価。それと日本のオーケストラがアジアの中で果たす役目にも。

下野さんは「オーケストラが必要と思ってもらえる人に必要と思ってもらえる存在になりたい」と話した後、ご自身の「戦略」とした「布石を打つ」に基づき敢えて珍曲もプログラムに入れるが、その結果空席が目立ち、サントリーホールの赤いシートばかりを眺める羽目になっても、それが「次につなげる起爆剤になる」と熱く語りコンサート同様の拍手を受けていました。

…(続く)