2011年2月28日月曜日

「燃える炭火に照らされた夕べ」



Claude Debussy - «Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon»
ドビュッシー:燃える炭火に照らされた夕べ



今日は寒い日ですね。
雨と雪が冷たく顔に当たって…ね。
ご自愛くださいませ。


・・・

(略)…この作品を書いているときも、ドビュッシーは癌の病苦が激しいため、ほとんど創作活動ができなかったのです。そういった中で石炭を世話してくれた商人に頼まれてこの作品を書くことになったそうです。私はこの作品の自筆譜のファクシミリを持っていませんが、ドビュッシーの自筆譜は線が細く、繊細で淡い感じで書かれ、その筆跡がすでに音楽と一体化して、一種の絵画的なものになっています。この作品の自筆譜は2001年にアメリカで発見されたばかりで、出版もDurand社から2003年に出たばかりなので…(詳細は引用元へ)


引用元:http://www.piano.or.jp/report/01cmp/knk_dbsy/2007/08/03_4338.html
金子一郎氏の素敵な演奏もぜひ:http://www.youtube.com/watch?v=xWeAd4g29QU


(以上、ドビュッシーメモ)

2011年2月27日日曜日

Ravel plays Ravel Pavane pour une Infante Defunte



本日はこのような気分です。

それではごきげんよう。


P.S.
ラヴェルの演奏からは色んな発見があるな。

2011年2月26日土曜日

2011年2月25日金曜日

ニュージーランド交響楽団首席コントラバス奏者、池松宏氏の合宿

このたびのニュージーランドの震災で被災に遭われた皆さま、ご家族や関係者の皆さま、心からお見舞い申し上げます。





・・・

さて、チェロの山本裕康さんのブログに「かぁーっと」熱くなる素敵な記事がありました。
リンクを貼りますので、よろしければご覧になってください。
こんなレッスンができる音楽家は本当に素晴らしいです。

http://d.hatena.ne.jp/mp-yamamotohiroyasu/20110225

2011年2月24日木曜日

ゲラ読み中

ここ数日間集中して取り組んでおります。

何を?

力作労作のゲラ刷りを私目が拝読。

音楽好きなら誰もが知る歴史的アーティスト。

現代における「アーティスト」の概念は、

このアーティストが創ったのではないか?

という人の衝撃の事実がここに…

2011年2月22日火曜日

人気アーティストたちが先生になる『音楽のじかん』が開講


詳細はここ
 ちょっと変わった新感覚の音楽イベントが赤坂BLITZでスタートすることが発表された。人気アーティストたちが先生になるという『音楽のじかん』なるイベントだ。

アーティストが音楽の先生になって熱血指導するというこの『音楽のじかん』、赤阪BLITZで全席指定の着席公演というプレミアムなイベントとなる。子どもから大人まで、音楽が好きな人もそうでない人も楽しめそうな『音楽のじかん』は、もちろん日ごろライブで見せる表情とは違う、新たな一面を発見するであろう内容で、先生となった各アーティストがそれぞれが選んだテーマにそって『音楽の授業』を繰り広げてくれる。
知っているようで知らない音楽の魔力が、きっとたくさん解き明かされることになりそうだ。ご注目を。
 『音楽のじかん』
3/19(土)19時開演(1)川平慈英&服部隆之(2)後日発表
3/20(日)15時開演(1)川平慈英&服部隆之(2)キマグレン
3/20(日)19時開演(1)キマグレン (2)後日発表
3/21(月・祝)15時開演(1)スキマスイッチ(2)植村花菜
3/21(月・祝)19時開演(1)スキマスイッチ(2)植村花菜
※1公演が2コマになります
※当公演は企画イベントのため、通常の各アーティストライブとは異なります
チケット 5000 円(全席指定/税込)
一般発売 3/5(土) プレオーダー 2/25(金)~3/1(火)


引用元:http://www.barks.jp/news/?id=1000067837&ref=rss


・・・・

この手の内容は今後要注目だと思っております。
音楽のナレッジが蓄積されてきて、語られること自体がイヴェントの目的となる。

個人的に興味を持ったイヴェントの紹介でした。

2011年2月21日月曜日

ゲルギエフの食事

Valery Gergiev
ヴァレリー・ゲルギエフ
1953-
引用元:Wikipedia



うな丼
エビフライ定食
お味噌汁…



伊熊先生のブログ。
興味深いお話しが多いです。
ぜひご覧を~

http://blog.yoshikoikuma.jp/?eid=142117


2011年2月20日日曜日

USTREAM活用方法一考 その2 今日は何の日?



ある日、私の携帯が鳴った。

S先輩からである。

「おい、今からさぁUSTREAMで生中継するから…必ず見てくれよ」。

生中継の内容は既にニュース配信されていた。

・・・

バリトン歌手、松平敬氏の多重録音による、ワンマン・アカペラCD『モノ=ポリ』(関連ニュース)(ENZOレコーディングスより2月20日より発売)の、完成記念座談会が2月20日と21日に行われ、その様子がUSTREAMで生中継される。松平氏本人、プロデューサー&エンジニアである嶋田亮氏のふたりが今回の座談会のパネラー。ゲストパネラーとして20日は若手音楽ライターの長井新之助氏、21日は音楽ライター鈴木淳史氏を迎えて今回のアルバム制作の話題が展開される。

詳細・引用元:http://www.phileweb.com/news/audio/201002/19/9731.html

・・・

実はこれは昨年の2月20日の話である。

このアルバムは見事、文化庁芸術祭優秀賞受賞した。

「いつも進んでますね」とS先輩にいうと、

「海外の三周遅れを拝んでいるのが日本市場なんだよ」

と返事がきた。

業界には色んな人がいるが、

「型破り」という点では私の最も尊敬する人である。

2011年2月19日土曜日

創業70周年記念の集い

某月某日某所

創業70周年を迎えた出版社さんのおめでたい席にいた私。

宴お開き後A先生と早速打ち合わせ。
その後、場所を変えて装丁の間村さんらと合流。

ナオコーラさんが私の隣に。
とてもモノ静かな人。
そのお隣に短歌の東さん小説と写真の大竹さん。
つかずはなれず仲良しな感じ。

モノ書きの人ってマイペースで良いなと思った。
文章で表現する人なので喋る必要がないのかな?
音楽と違って合奏という行為がないから、
「静かなる自分の世界」がある風で良いナ。

それにしても、

間村さんは優しい。
ガハハハ~と笑ってね。
批評臭いことは一切言わない。
これ、けっこう大切なことなんです。

2011年2月18日金曜日

【ご案内】Trio-L'etoile "primier concert"

なかなか良く考えて、頑張っているなぁと思ったのでご案内です。
近くにお住まいの方、ホルン吹きの方、秘曲実演主義の方応援を!






20110302日(水)  19:00開演  杉並公会堂 小ホール(東京都)
ヴァイオリン:長倉亜紗、ホルン:長竹英治、ピアノ:棟方真央


★Program★
G.Faure:Piano Trio d-moll op.120
G.フォーレ:ピアノ三重奏曲 ニ短調 作品120

D.Banks:Horn Trio
D.バンクス:ホルントリオ

J.Brahms:Horn Trio Es-Dur op.40
J.ブラームス:ホルン三重奏曲 変ホ長調 作品40

入場料:一般1,500円、学生1,000円

お問い合わせ:trio-letoile@mail.goo.ne.jp


以下出演者から

・・・・

三重奏といえば、ピアノ、ヴァイオリン、チェロを思い起こす方が多いかと思いますが、
温かい音色のホルンとの三重奏をぜひ聴いてみませんか?

ホルンも得意だったブラームスは、ホルントリオの為に崇高で壮大な曲を作曲しました。
それぞれの楽器が見事に調和し、現在一番有名なホルントリオの曲とされています。

その他にも、ピアノトリオとして有名なフォーレのチェロ部分をホルン用に編曲しました。この曲を知っている方もまだ知らない方も、きっと楽しんで頂けると思います。

ドン・バンクスは現代の作曲家で、この作曲家もオリジナルでホルントリオの為に作曲しています。
楽譜は難解。それぞれ合わせるのも簡単ではない曲ですが、なぜか一度聴いたら癖になってしまうフレーズばかりです!

全てのプログラムがホルン、ヴァイオリン、ピアノによる曲です。
ホルントリオを愛する方の輪が、少しでも広がってくれることを願いつつ・・・

・・・・


決して高くない入場料だしできるだけお買い求めの上お聴き頂ければ幸いです。
若手演奏家の殆どの興行が出演者自ら負担して開催しておりますので…。
かつてはGGもそうでしたし。


以上、ご紹介でした。

2011年2月17日木曜日

振ると面食らうTシャツ



昨年200着限定であっと言う間に売り切れ。
Aさん、生誕125年の今年こそもっとやった方がいいじゃないですか?

「フルベンって誰?」という人が着たりするとけっこう面白いと思います。
もちろん熱狂的ファンが着用されても!


中部地方にお住まいのPさんどうですか?
ご覧になっているのかどうか・・・

2011年2月16日水曜日

一橋のガラガラヘビ




某月某日…。

A先生のお手伝いで一橋大学如水会館へ。講演名は「フランスのエスプリ~クープランとドビュッシー」。


「ガタガタのベヒがあるらしいのだけど」と先生。
「え?ガラガラヘビですか?」と私。


ベヒとはベヒシュタインのことでした。
ま、そんな冗談は置いて…そのベヒ、会場に行って、見て、聴いて、驚いた。

骨董のレース細工のように一つ一つに淡い上品な光沢を発する音色。聞けば1923年製だそうで戦前・戦後の一時期まで原智恵子女史や安川加壽子女史がたびたび演奏していたのだという。受付で手渡されたこのピアノにまつわるエピソードが印象的なので少し紹介する。


・・・・・

(略)昭和19年(1944)10月、この兼松講堂において本学学生の出征学徒壮行会が行われた。2、3の教授の壮行会でピアノ演奏をしたのが、日本人ピアニストの草分けとしてショパンコンクール(1937)に初めて入賞した「特別聴衆賞」も得て、世界中から「東洋の奇跡」と称えられた国際的な名ピアニスト・原智恵子(1914-2001)だった。
 彼女は13歳でパリに渡り、ラザール・レヴィ、コルトー、ルービンシュタインなどに師事、コンセルヴァトワール(パリ音楽院)を首席で卒業しピアニストとしてのキャリアを着実に歩み始めたちょうどその矢先、戦争のために帰国を余儀なくされていた。
 帰国後は、最も著名な演奏家の一人として、戦時色濃厚な中、芸術を求めて止まない人々の期待に応えて演奏を重ね、表現の自由が極度に制限された中でも、芸術としての本来持つ自由な精神を決して失わなかった意志の人でもあった。
 実は、当初、彼女は出征壮行会なら出演しないと固辞したと伝えられている。ところが、当時日本に3台しかないといわれたドイツ製ベヒシュタインピアノがあると聞いて、まさかと驚き、「そのピアノを弾かせていただくために…」ということで演奏が実現した。
 (略)そして演奏が終わると自ら進んで演壇に立ち挨拶した。
「本日は思いもよらぬ素晴らしい会にお招きいただき感激しております。ただいまは戦(いくさ)に向かう若者の情熱を讃えたショパンのポロネーズを演奏いたしました。行く日があれば必ず帰る日もあるはずです。ご凱旋のときにはぜひともまたお招きをいただきたい。みなさま、おすこやかに…」
 この美貌のピアニストは両手を前に固く結び、両眼からとめどもなく溢れ出る涙は頬を伝って流れ落ちていた。


引用元:兼松講堂のものがたり

・・・・・

私は、音楽を「あれがうまい」「これがうまい」だけで接しないように戒めているつもりだけれど、このような場面を綴った文章に出合うと「あぁ気をつけなきゃ」と改めて思う。今は本当に恵まれているのだ。恵まれていることは、もちろん「悪」ではないのだけれど。

ところで、本来講座用に用意されたピアノはYAMAHAさんのセミグランドだったようだ。こちらは準備万端調律もされてステージがあるとしたら、ちゃんとセンターにセッティングしてある。ところがA先生は、講堂の脇に無造作な感じで置かれている無調律のベヒシュタインにべったり。なかなか離れようとしない。

YAMAHAさんのは物理学的根拠を基に計算しつくされたボディーと発声で、音色も音量もそれなりで決して悪くはない。それはこの日聴いても同じ。クルマでいえば最新オートマ車を運転するように滑らか。一方ベヒシュタインは手触り楽しい骨董の感覚。スペック上では劣るクルマかもしれぬが、転がして楽しいのは断然こっち…と聴いていて思った。

音楽を用いた講義であったが、私はベヒを使ったFrançois Couperin (大クープラン)の「百合の花開く」が最も気にいった。

百合の高貴な花の匂いを感じさせる音色で…

2011年2月15日火曜日

一柳慧さんが語る「千年の響き」。 2/2


一柳さんと縁深いJohn Cage(ケージ)の作品
P.Zukofskyとのコラボレーションで創作

(続き)

一柳さんの話には共感することが多かった。

一柳慧さんといえば、個人的には、ヴァイオリニスト、Paul Zukofsky(P.ズーコフスキー)氏と仕事をされていたときに「聴き手の一人」として接し始めた記憶がある。人によってはオノ・ヨーコさんの元夫でご存知かもしれないが。

お話を聞いて私がうなったのは3つある。

1)(未来、前に進むために)日本音楽の原点に復帰する。

2)東洋の音楽にも西洋の音楽に決して劣らないコンセプト(≒哲学、考え方、論理)が実は存在するのだが、そこにまで踏み込んでいないことが多い。技術的な問題については解決しているのだが。

3)余り(西洋と東洋の)「融合」を考える必要はないと思う。元々のコンセプトはひとつだから。

上記は、何人かの質問者からの問いに答える形で引き出された。ひとつ目の発言にはなるほどと思い、二つ目の発言には勉強になった(そういえば全く同じことを東儀秀樹さんも仰っていたな)、三つ目の発言には強く共感を覚えた。

他に「絶対音感はほとんど通用しなくなってきているのではないか?」にも同感。私は20年くらい前から秘かに「絶対相対音感」と感覚的に名づけて自分なりの理解を持っている。いきなり論理が飛躍するが、音楽は、だから、合っているとか合っていないとか、たったそれだけの「軸」で聴くことのできない文化なのである。

ときどき「音楽の方向性や路線が違う」とか「違うアプローチで云々…」という…私には「怒りを越して悲しい」類の…言葉に出くわす。

私はクラシックを聴く、と同時にヒップホップの音楽にも興味がある。それは現代では避けて通れない文化だからだ。また歌謡曲(J-POPといっても良いけれど)には、源氏物語と時間を超えた共時性を感じるし、ドビュッシーやヴェーベルンからは古い壁をぶち破ろうという狂気な熱が聴こえる。平均律も純正律もWindowsとMACに似て同じく扱うし、つまり音楽をひとつの大きな河か海と思っている。流れは同じで還るところは全て同じ。つまり違わない。一緒。

2011年2月14日月曜日

甘竹簫・排簫に聴く「千年の響き」。 1/2


「阿弥陀二十五菩薩来迎図(「早来迎」)」から
排簫を手にしている菩薩のみをアップした動画



正倉院にある楽器、排簫(はいしょう)※ の響きや可能性を確かめに予定を急遽変えて神奈川県民ホールへ。お目当ての排簫は残念ながらスライドでの説明のみだったが、代わりに箜篌(くご)と、笙(しょう)、竽()、馬王堆の竽(まおうたいのう)の実演があった。一柳慧さん作曲「時の佇まいⅡ」を佐々木冬彦さんの箜篌、「時の佇まいⅠ」を馬王堆の竽でそれぞれ聴いた。

演奏方法が不明確のまま、手探りと論理的思考と直感を静かに総動員して音楽で表現することの面白さが伝わってきたが、この日は会議室での演奏。響く空間で供される日(2011.3.5)が楽しみである。

また、方響(ほうきょう)や編鐘(へんしょう)といった「旋律打楽器」を間近に見ることができた。実に懐かしい色んなものが混ざった明るい響きであった。

とにかく得がたい経験である。


※手元にある米田雄介・杉本一樹著『正倉院美術館』(講談社)によれば「排簫(はいしょう)」ではなく「甘竹簫(かんちくのしょう)」という楽器名のみとなっていた。

(続く)


参考URL
http://hibiki.shinnyo-en.or.jp/
http://www.kanagawa-kenminhall.com/event/event-41119.html


阿弥陀二十五菩薩来迎図(「早来迎」)
知恩院(国宝)
引用元:Wikipedia

排簫を手にしている菩薩がわかりますか?

2011年2月13日日曜日

Cello Congress in Japan 2011 2.12

カミサンの知人Fさんや、実践的アウトリーチ活動で私が尊敬してやまないM氏が件に出演するというので、サントリーホールへ。最も印象に残ったのはチェロに関わる人たちの層が厚くなったな…ということ。

総勢130人のチェリストがステージに載った後半は良かった。とりわけ、オルガンと組合せての「ラ・シーヌ」は気に入った。

ところで私が最も気になったのはそのM氏の会員番号。

当日配られたプログラムに日本チェロ協会会員一覧があった。各個人名の横にそれぞれ"№" が付いているのだが、M氏のそれはどう考えても意味ありげな番号である。

というのも「研究団体」創設に携わる可能性(あくまで「可能性」です。今のところ1%くらいかな…)が出てきたので、諸々ノウハウを聞いておきたいのです。

それでは今からハマ方面へ行って参ります。


P.S.
チェロ・アンサンブルを久しぶりに聴いて思うことは多々あった。また、いつか書きます。
結論だけ先に書くと、ヨーヨー・マさんはこれで終わってはいけない、ということです。

2011年2月12日土曜日

「冬はただの厄介者」


"Yver vous n'estes qu'un vilain"
 from Trois Chansons de Charles d'Orleans
by Claude Debussy


ドビュッシー:シャルル・ドルレアンによる3つの歌から
「冬よ、お前はただのやくざ者」




今から溜池に行かねば…。

「冬よ、どこかへ池!」

と叫んだところで今日も寒いです。

(以上、ドビュッシーメモ)

・・・

P.S.
KAITO MEIKO 初音ミクは現代日本の文化の一つだと思う。
ドビュッシーのこの作品を取り上げるとは!
嬉しくなったのでリンクをご紹介。
リンク先:http://www.youtube.com/watch?v=2ehO_Sq5Ju4

【突破する力】村松崇継さん Departure3



新しくなった銀座・YAMAHAさんでイヴェントを終えた村松さんは、少しの間も入れずに新型クラヴィノーヴァ収録の打ち合わせに入った。その次は、手がけているミュージカルを観に行く予定があるという。だが、指定時間までギリギリ間に合うかどうか…。急遽、クルマを使わずに銀座から北千住まで地下鉄で移動することになった。車内は帰宅時の乗客でいっぱいだったが辛うじて座れる空間があった。

車内でも周囲に気遣う物腰の柔らかな村松さんがそこにいた。どうでも良いような私の靴を褒めてくれるはいつものこと。私も、その方法を真似して他の人に靴褒めをやったが「コレ2足8,000円の安モンですヨ」なんて返ってきて、これ以上話しが進まないこともあった…汗。そんなくだらない話しはおいておき、この日は顔色が少し違っていたことを覚えている。寝る間も惜しんで仕事に勤しむ大変な状況や環境を伺った。それは深刻な感じだった。

目的の駅に着くと作曲家は劇場へ向けて走リ出した。

間に合うのか?

階段を駆け上がり劇場の扉へ。

間に合った!

ここまでやって…こんなにやって…

ちょっと泣けそうにもなったが、実際には、

ここまでできて!こんなにできて!…ではないか?と思う。

というのも、某日某所、ある大御所歌手のコンサートに行ったときのこと。予期せぬことに村松さんの音楽が歌われたのだが、私の隣に座っていた藝大作曲科出身の人が身を乗り出して注意深く聴き始めたのだ。それまで気持ち良さげにウトウトしていたのに。確か「いいなーこれ!」と言ったと思う。何気ないメロディーの中から聴こえる微妙な音程の動きや、シンプルで優しげなハーモニーに潜む複雑さを専門家の耳で感じ取っていた。こんな風景に出合うと大変嬉しい。

それからもうひとつ。

音楽は「聴いてみたい」という感覚も大切だし、創作者の「聴かせたい」「聴いて欲しい」も重要だけれど、「演奏してみたい」「歌ってみたい」という関わり方がその人の人生を支え、豊かにし、幸せにする。村松さんの音楽が「耳コピ」で動画サイトにアップされる数と、おびただしいアクセス数を見ると、ああ、音楽を通して人を幸せにしているのだな、と思う。

コンポーザーピアニスト、村松崇継さんには天が与えた才能があると私は信じている。

ますます大きく飛翔されますよう。

(完)

引用元:http://globe.asahi.com/breakthrough/110110/01_01.html








「2年前に事務所をやめた…」の箇所を読んで、改めてインタビューという行為は難しいなと思った。2年前は「前の前の事務所」のことではないかと思う。"Departure"を含むアルバムがリリースされたのは「前の事務所時代」だったのはファンならご存知と思う。もちろん現在の所属先事務所は大変素晴らしいところで、これまでにないメガ級ヒットが出ることを私は応援しています。

2011年2月11日金曜日

【突破する力】村松崇継さん Departure2

映画「大奥」公式サイト:http://ohoku.jp/

(続き)

あれは渋谷駅だったか新宿駅だったか。はたまた自宅最寄の地下鉄駅だったか…映画『大奥』の駅看板を目にしたときは本当に嬉しかった。近年の邦画ではめったにない巨大サイズの駅看板。「お金がかかっている良い映画だな~(笑)」と思いつつ「音楽・村松崇継」の名前を確認して「ヨッシャー!!」と小さくガッツポーズ。

二宮和也さんと柴咲コウさんが出演することで話題に事欠かない映画であったし、実際、興行成績は良くランキングも上位のヒット作であったわけだが、私には文化的側面から観ても感心できる映画のひとつではなかったか?と思っている。近世の「使い古したお話し」が、コミックという日本の現代文化を触媒にして…と、多くの「仕掛け」が入っている。

観る者は脳みそを逆転にしながらストーリーと場面を追うが、一種安心感をもたらすのは多分に音楽せいかもしれない。人物と台本と場面の間に音楽が入ってくる。それも優しいオーラのように、ときどき覚醒させる雷のように大胆に。音楽は・・・そう村松崇継さんである。

泣けるような高純度の音楽。人の痛さ辛さ。そして救い…聴こえるのは「村松節」。

インタヴューでは、

作曲家アラン・シルヴェストリに弟子入りを求めたけれど断られたことや、少年合唱団LIBERAとのコラボを渋るプロデューサーに「一度歌ってみてください」と食らいつき、結果リリースされると10万枚を売るヒットを生んだことも語られるが、何よりお母様の言葉が心に響く。

「今があるのは、あのころの苦しみがあったから」。

「あのころ」をいつ?と特定するのは野暮なことなのでやめておこう。大事なのは、村松さんは小学生から成人するまでの間に、芸術家になるための社会的、人間的経験を相当に積んでいたということである。しかも、村松さんの本分やオリジナリティを失わずに。いかにも天才に相応しい早熟な人生体験といっても良いが、言葉でいうほど簡単なことではない。大学卒業後一時期「会社員」として仕事をしていたこともあったと聞いた。そのために必要な資格を取得したとも。

成功と辛苦。理不尽な出来事。想像も尽かぬ葛藤。それらを大学を卒業する前に「演奏家」ではなくて「作曲」という分野で経験しているのは、稀有な例ではないか?と思う。

(続く)

引用元:http://globe.asahi.com/breakthrough/110110/01_01.html

2011年2月10日木曜日

【突破する力】村松崇継さん Departure1

 Takatsugu Muramatsu
(C)HFM



朝日新聞GLOBE』さん連載の「突破する力」には、いつも興味深い人が登場する。

指揮者の大野和士(Kazushi Ono)さんに始まって、サッカー選手の中村俊輔さんや、作曲家の藤倉大(Dai Fujikura)さん、指揮者の上岡敏之(Toshiyuki kamioka)さん、与那国海塩社長の伊藤典子さん、スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さん、バレエダンサー吉田都(Miyako Yoshida)さん、サッカー日本代表前監督の岡田武史さん等、現代の日本を代表する人物が集まっている。いや、ただ、集めているばかりではなく、何を考えているか?自らを「分析」させる趣向がとても面白い。

連載48回目は、我らが作曲家・ピアニストの村松崇継 (Takatsugu Muramatsu)さんであった。

某月某日…。

あれは確か中目黒の野菜がめっぽう旨いイタリアン・レストランで、村松さんとご一緒させてもらったときのこと。会話の途中で音楽大学作曲科における作曲家の勉強法が話題になった。


「音大では明けても暮れても12音技法による作曲で…」
「譜面審査という音を出さないで音楽を審査する…」


もちろん、そんなマジメな話しばかりではなくて、蜂蜜専用の小さな小さなスプーンがついてくるお料理を注文して「ほらほら見て~凄いでしょ。こんなにちっちゃいよ…」と蜂蜜をかけるサーヴィスをしてくれたり(その間我々はまるで飼い主に忠実な「待て」状態であった^^;)、甘口の葡萄酒をゆっくり楽しんだり、最後は王子セレクトによるドルチェで盛り上がったり…と楽しい時間だったが何か示唆することが多々あった。

インタヴューでは、

「国立音大作曲学科に在籍しながら、ゴスペル、ロックの音楽家らと、ライブハウスで演奏に明け暮れていた。」と。

なるほど、そのようにして市場に合う感性とバランス感覚を磨かれたか。

「こどものころから曲を作り、その数はすでに1万曲以上ある。」

…は、改めて聞くと何と凄い数字ではないか!まさに「人生=作曲」である。しかもその若さでその年齢で!つまり、半端じゃない音楽への接し方、愛情、溢れんばかりの才能を窺い知ることができる。それでいて、村松さんの素晴らしいところは、ピアノが本当にお上手なこと。

「上手」だなんて、作曲科出身だから当たり前じゃないか?という人もおられるだろうが、いえいえ、ステージに載って人前で演奏して感動させるのは「上手」というレヴェルでは難しいんです。圧倒的な技術の懐の深さがなければ、メロディーを歌って「センスを醸し出す」なんて困難。

(続く)

引用元:http://globe.asahi.com/breakthrough/110110/01_01.html

2011年2月7日月曜日

いよいよ本番!フランス・ブリュッヘン、ベートーヴェン・プロジェクト


Frans Brüggen(F.ブリュッヘン)氏プロデュースによる"Beethoven Project"
いよいよ2011年2月8日(火)から本番です。

・・・・

第1回:2月8日(火)19:15開演
交響曲第1番 ハ長調 op.21「第1番は明らかにハイドンからの流れを継承する交響曲」
交響曲第2番 ニ長調 op.36 「さらに発展させる形でハイドンから培われたものを継承した交響曲」
交響曲第3番 変ホ長調『英雄』 op.55「『英雄』はナポレオン、英雄伝、ヒロイズムが謳われる」

第2回:2月11日(金・祝)15:00開演
交響曲第4番 変ロ長調 op.60 「明確にわからないが、一歩戻り」
交響曲第5番 ハ短調『運命』 op.67 「声高らかに自由を謳った交響曲」

第3回:2月16日(水)19:15開演
交響曲第6番 ヘ長調『田園』 op.68 「自然を謳った交響曲」
交響曲第7番 イ長調 op.92「戦いのシンフォニー」

第4回:2月19日(土)15:00開演
交響曲第8番 ヘ長調 op.93「メカニックな要素を含む交響曲」
交響曲第9番 ニ短調『合唱付き』 op.125「全人類すべての人への讃歌として書かれた交響曲」


※上記「」はブリュッヘン氏が記者会見で語った9つのシンフォニーに対する「見立て」です。

・・・・

指揮:フランス・ブリュッヘン
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団

ソプラノ:リーサ・ラーション
アルト:ウィルケ・テ・ブルメルストゥルーテ
テノール:ベンジャミン・ヒューレット
バリトン:デイヴィッド・ウィルソン=ジョンソン
合唱:栗友会合唱団
合唱指揮:栗山文昭

主催:すみだトリフォニーホール/財団法人 新日本フィルハーモニー交響楽団
協賛:SMK株式会社/UBS証券会社
後援:オランダ王国大使館/日蘭協会
平成22年度文化庁芸術拠点形成事業

ベートーヴェン・プロジェクト:

新日本フィルハーモニー交響楽団:
http://www.njp.or.jp/njp/information/index.html

朝日新聞さんの記事:
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201102020239.html

毎日新聞さんの記事:
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110203dde012040024000c.html

まめびとさんによる秀逸なオリジナル記事:
http://mamebito01.exblog.jp/15462079/


記者会見では"Schubert Project"の可能性について言及していました。多少気の早いことでもありますが、とにもかくにも目の前に控えた今回の公演を成功させねばなりませんので、ブリュッヘン・ファンの方、ご興味のある方、ぜひお足をお運びください。また蛇足になりますがシューベルトの動画を添付しておきます。オケはNJPさんでなく悪しからずですが、私はこういった動画があると大いにそそられるのです。同時にシューベルトの出現をイメージしながらベートーヴェンを鑑賞することは、現代人に与えられた方法でもあって面白いかもしれませんね。
















新進音楽家コンベンション等に出向く機会がある私としては、今回の記者会見は課題を感じました。いつか気が向けば書きますが、今はマーケットを支える者の一人としてプロジェクトの大成功を祈ります。

2011年2月6日日曜日

作曲家・ピアニスト、オリヴィエ・グレフの親密な世界



Leonard Bernstein(バーンスタイン)1918-1990 とのツーショットを見ると、何か…気になる方がいらっしゃるかもしれないです。





名手Henri Barda(アンリ・バルダ)は、F.Chopin(ショパン)を演奏するよりも、ずっと一層親密に向き合っている気がします。

・・・・・

Olivier Greifオリヴィエ・.グレフ)1950-2000 の親密な世界。
音楽家たちはもう少し取り上げても良いと思いますが、いかがでしょう?

2011年2月5日土曜日

ロベルト・シューマン:ゲノフェーファ




あるピアニスト先生からR.Schumann(ロベルト・シューマン)の珍しいオペラ(Genoveva)があるから観に行かない?とお誘いを受けたので新国立劇場へ。

「珍しいオペラ」といえば東京室内歌劇場さん。本日は同歌劇場42期第129回定期公演でした(中劇場にて)。この珍しい作品は2006年に芸大オーケストラが演奏会形式で取り上げていますが、今回は「日本舞台初演」。尚、昨夜の公演では皇太子さまもご臨席されたとのことです。

批評は林田さん始め多数の方が書かれているので、今更私の出る幕はありませんが、シューマンの音楽を聴くとき、私は妻・Clara Schumann(クララ・シューマン)はどう感じ取っていたのだろう?逆にロベルトはどうように聴かせたかったのだろう?…みたいなことを考えてしまう「悪しき習慣」があります。クララがこの「オペラ」をちゃんとピアノ版として仕立て上げているので、仔細に見れば何かが分かってくるかも知れません(ピアニスト先生に食事しながら見せてもらいました)。

当日のプログラムにあった佐藤英さんの秀逸な解説には、

「このオペラの主要な登場人物たちが、善とも悪とも明確に定めがたい要素を秘めていることに気付かされる。こうした作風の台本は、19世紀の聴衆には歓迎されなかったかもしれない。」

とありました。

「オペラ」という枠組みで鑑賞するならば「筋読み」に見合った展開が不十分かと。演出は、ですから饒舌にならざるを得ない側面があったのかな?とも。とにかく説明を積み重ねて言語表現(台本)を試みることを、どこかで放棄したような印象を受けます。「歌芝居付き交響詩」のような感覚なら楽しめるかも?という妙な気分に陥りました。

そうそう和田さんのジークフリートは素晴らしく前川さんのゲノフェーファも大変良かったです。
管弦楽は…。1850年初演時はこんな感じかな?と思い巡らせながら聴きましたが、ともかく、今回の公演に携わった皆さまには貴重な機会を頂きました。有難うございます。

その後、オペラシティ内で見つけた格安レストランで食事。

「万歳ジークフリート!」
「万歳ゲノフェーファ!」

と同行編集女史も一緒に乾杯して帰途につきました。

2011年2月4日金曜日

藤沢宏光著『図解 音楽業界ハンドブック Ver.1』(東洋経済新報社)

藤沢宏光著『図解 音楽業界ハンドブック Ver.1』
(東洋経済新報社)2007年


やや古い本ですが類似書の中でも良い本の一つだと思います。

書評でも感想でもなく、私にとって気になった箇所を抜き出しますと、


・・・・・


現在のオモテ音楽業界は、言ってみれば長年の慣習が支配する談合社会です。(丸山茂雄氏)


・・・・


ひと言。

すっかり慣習の中で成立している世界がどのように変化を遂げなければならないのか?

あるいは遂げたいのか?はたまた遂げることができるのか??

2011年2月3日木曜日

ギネス世界記録TM更新に挑戦!横山幸雄ショパン・ピアノソロ全201曲コンサート

<~あの感動をもう一度!ギネス世界記録TM更新に挑戦!~『TOKYO FM ギネス世界記録挑戦 横山幸雄ショパン・ピアノソロ全201曲コンサート』>


2011年5月3日(火・祝)
@東京オペラシティ
曲目:ショパンのピアノ曲(ソロ)全曲(201曲)およそ18時間
出演:ピアニスト横山幸雄
7時30分~25時40分 全12パート4部制

●第一部 朝7時半より
パート1 7時30分~8時40分
~15分休憩~
パート2 8時55分~10時05分
~15分休憩~
パート3 10時20分~11時30分
~30分休憩~
●第二部 12時より
パート1 12時00分~13時10分
~15分休憩~
パート2 13時25分~14時35分
~15分休憩~
パート3 14時50分~16時00分
~60分休憩~
●第三部 夕方5時より
パート1 17時00分~18時10分
~15分休憩~
パート2 18時25分~19時35分
~15分休憩~
パート3 19時50分~21時00分
~30分休憩~
●第四部 夜9時半より
パート1 21時30分~22時40分
~15分休憩~
パート2 22時55分~23時05分
~15分休憩~
パート3 24時20分~25時30分
~ギネス更新セレモニー~
25時40分終了予定

※このコンサートの模様は、「TOKYO FMホリデースペシャル」として生中継で放送し、ショパンの生涯にまつわるエピソードとともにその熱気を伝えます。

引用元:http://www.barks.jp/news/?id=1000067412&p=0



凄すぎる…しかも暗譜…
生中継されるのでオペラシティに行けない方々もぜひお聴きください!
空前絶後な試みにはオーディエンスの応援する姿勢も絶対大事。

Shibuya 某所にて…

某プロダクション社長氏とお好み焼きへ。

道玄坂から込み入った場所に店を構えるが、美しくも渋い大御所JAZZ MENたちがBGMを奏でる趣味空間で、熱き鉄板を前にして鮮やかな「コテ」二刀流の手さばきで社長氏が焼く。

社長氏とは、Martha Argerich (アルゲリッチ)さんが、果たして新日本フィル定期公演で協奏曲を弾くか否かで焼酎一杯を賭けていた。が、私の完敗にて乾杯(本当はわざと負けたんです、と負け惜しみ)。


在京オーケストラの存在意義、
近未来型のコンサートのあり方、
メジャーレーベルと既存のメディア、
小澤征爾さん、
マーラー、
ロストロポーヴィチ、
新日本フィル、
都響、
N響、
JAZZ、
映像と音楽、

その他、多数多岐に及ぶ。


その後、ピエール・バルー氏プロデュースの店へお連れした。
グランドピアノとステージが良い感じでこの界隈には滅多にない空間。

「いいねぇ」とひたすら唸っていた。

早速ブッキング担当ディレクター氏と話しを進めている。
何やら面白い試みになりそう。

私はユリ・ケイン・アンサンブルみたいなモノをやろうかな…笑

お店は⇒ http://www.saravah.jp/tokyo/

できたてのほやほやですので、興味あらばぜひ!

2011年2月2日水曜日

Richter は本当に端役だった!

(続き)


「まあ 端役だけどね」

「映画『作曲家グリンカ』のリスト役は私だ」





「まあ 端役だけどね」






「まあ 端役だけどね」





以下引用元:Wikipedia 映画「グリンカ」より(2011.2.1現在)
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「まあ 端役だけどね」



確かにCASTに名前がクレジットされていない。

Franz Liszt-Sviatoslav Richter  の名前が…

嗚呼…




この映画は1946年にリリースされました。リヒテルは1945年に全ソビエト音楽コンクールピアノ部門で第1位を受賞しています。30歳!で。この歳で優勝だなんて…昨今の音楽ファンはどのように受け止めるでしょうか?音楽大学で「専門教育」を受けたのがハタチを過ぎてからとはいえ。

ところで、リヒテルはこの全ソ連コンクールについて次のように述べています。


・・・・・

この賞のおかげで、彼らとしては私のコンサートのチラシに「私がこれこれの受賞者」と書けるようになり、のちには「レーニン賞」とか「社会主義の仕事の英雄」とか「ソ連人民の芸術家」とかいう文句まで添えられるようになったのです。こうした無意味な称号が大好きなのが、ソ連人の気質です。



・・・・・

 
うーん「無意味な称号」か。

リスト役に抜擢された理由は様々でしょうが、「全ソ連コンクール1位」が後押しになったと思います。でも、リヒテル自身は一連の「無意味な称号」の一つにしか過ぎないと感じている。

なるほど、映画を製作した人たちの認識…つまり代表CASTに名前をクレジットしない、そんな扱い!…によって何となく、称号の「無意味」さを証明している気がします。確かに、当時はリヒテルの師匠筋先輩筋にあたる偉大な芸術家ピアニストがたくさんいて、比べればデビュー間もない新人ではあった。けれど決して一介の新人ではない。旧共産圏の国のこと。いちいちコンクールに政治的介入がありましたから。旧ソ連という国、リヒテルの苦悩…複雑なモノを私は感じます。

「健全な考え」でいえば、例えば、人気絶頂のピアニスト、Lang Lang (ラン・ラン)やKrystian Zimerman (K.ツィメルマン)が映画で役をもらってピアノ演奏するとなれば、たとえ「端役」でも名前くらいは出るとは思いますが、それは一種の産業的思考に基づく考えかもしれません。「健全」といいつつも。

まあ、映画に出るも出ないも、名前が出るも出ないも、色んな(はかり知れない)事情が芸術家の活動につきまとう、ということです。

多くを遺してくれた大天才ピアニスト、リヒテルの人生のヒトコマ。

私は常人離れした、しかし人間臭いリヒテルが好きです。

2011年2月1日火曜日

映画 "Glinka” に観るコンサートのあり方

(続き)


それからコンサートのあり方について少々…


この映画、ステージの設営場所といい、座席の配置といい、お花の渡し方といい、素材(楽譜)選びのパフォーマンスといい、「目の前で起きていることは凄い」と感じれば、ちゃんとトロイカでグリンカ先生を呼んでくる手配力というか場の盛り上げ方といい、全てがアナログなんだけれどライヴ演奏の一つ一つが尊く貴いモノであることを皆が心得ている良き時代であったのだな、ということ(背景が「絵」なのはさて置いて)。

勿論、これらは映画の中の出来事ではありますが、しかし、Glenn Gold (グールド)がモスクワで演奏したときも似た現象が起きた(感動した聴衆が次々に知人や友人に電話をして聴きに来ることを勧めた)という話しもあります。

今ならケータイで電話もできるしTwitterを使って広めることも可能。実際、アーティスト自ら休憩中に何らかの「コミュニケーション」を取る時代でもある。それはそれで可能性が広がる一方、現代のコンサート運営がやや硬直しているのを感じるのは私だけだろうか?「硬直」とはシステマティックともいえるわけで、そのお陰で興行が大変に増えてきているのは間違いないのですが。


これは主にクラシックのコンサートについて。


それから最後に一つ。
これは結構大事なんです。

(続く)