映画「大奥」公式サイト:http://ohoku.jp/ |
(続き)あれは渋谷駅だったか新宿駅だったか。はたまた自宅最寄の地下鉄駅だったか…映画『大奥』の駅看板を目にしたときは本当に嬉しかった。近年の邦画ではめったにない巨大サイズの駅看板。「お金がかかっている良い映画だな~(笑)」と思いつつ「音楽・村松崇継」の名前を確認して「ヨッシャー!!」と小さくガッツポーズ。
二宮和也さんと柴咲コウさんが出演することで話題に事欠かない映画であったし、実際、興行成績は良くランキングも上位のヒット作であったわけだが、私には文化的側面から観ても感心できる映画のひとつではなかったか?と思っている。近世の「使い古したお話し」が、コミックという日本の現代文化を触媒にして…と、多くの「仕掛け」が入っている。
観る者は脳みそを逆転にしながらストーリーと場面を追うが、一種安心感をもたらすのは多分に音楽せいかもしれない。人物と台本と場面の間に音楽が入ってくる。それも優しいオーラのように、ときどき覚醒させる雷のように大胆に。音楽は・・・そう村松崇継さんである。
泣けるような高純度の音楽。人の痛さ辛さ。そして救い…聴こえるのは「村松節」。
インタヴューでは、
作曲家アラン・シルヴェストリに弟子入りを求めたけれど断られたことや、少年合唱団LIBERAとのコラボを渋るプロデューサーに「一度歌ってみてください」と食らいつき、結果リリースされると10万枚を売るヒットを生んだことも語られるが、何よりお母様の言葉が心に響く。
「今があるのは、あのころの苦しみがあったから」。
「あのころ」をいつ?と特定するのは野暮なことなのでやめておこう。大事なのは、村松さんは小学生から成人するまでの間に、芸術家になるための社会的、人間的経験を相当に積んでいたということである。しかも、村松さんの本分やオリジナリティを失わずに。いかにも天才に相応しい早熟な人生体験といっても良いが、言葉でいうほど簡単なことではない。大学卒業後一時期「会社員」として仕事をしていたこともあったと聞いた。そのために必要な資格を取得したとも。
成功と辛苦。理不尽な出来事。想像も尽かぬ葛藤。それらを大学を卒業する前に「演奏家」ではなくて「作曲」という分野で経験しているのは、稀有な例ではないか?と思う。
(続く)
引用元:http://globe.asahi.com/breakthrough/110110/01_01.html
村松さんの音楽を愛する方々は、
返信削除>泣けるような高純度の音楽。人の痛さ辛さ。そして救い…聴こえるのは「村松節」。
ここに胸を打たれ、感動するのでしょう。
村松さんの音は、音の余韻も心地よく、躍動感を感じます。
水を得た魚がいきいきと尾びれを返して
水面を弾いて泳ぎ回るような…。
鼻歌を歌ってると、時々私の頭には魚が思い浮かびます。
そして、フレーズの複雑さで鼻歌が続かない…(笑)
演奏家の方のコメントです
http://www.ne.jp/asahi/maeda/reed/nikki.html
(2008年5月20日(火)をご覧くださいませ)
心情に迫る、危機感のシーンの表現は
村松さんのブログで、同様にお伝えしたことがありますが、
お得意とされているような気がします。
他の追随を許さない素晴らしさは、持ち味であり、強みだと思います。
様々なご経験の「重ね」が活かされているのでしょう。
最近は他のドラマ、映画でも音が気になって
耳を傾けるのですが…
村松さんの音は、技巧も細工も遊びもあって
ダントツだな、と思っています。
僕は 村松さんを誰かの生まれ変わりだと密かに思っています
返信削除(生まれ変わり成分100%じゃなくて主成分が です)
だれでしょうか?
では また 機会があれば書きます