2011年2月2日水曜日

Richter は本当に端役だった!

(続き)


「まあ 端役だけどね」

「映画『作曲家グリンカ』のリスト役は私だ」





「まあ 端役だけどね」






「まあ 端役だけどね」





以下引用元:Wikipedia 映画「グリンカ」より(2011.2.1現在)
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「まあ 端役だけどね」



確かにCASTに名前がクレジットされていない。

Franz Liszt-Sviatoslav Richter  の名前が…

嗚呼…




この映画は1946年にリリースされました。リヒテルは1945年に全ソビエト音楽コンクールピアノ部門で第1位を受賞しています。30歳!で。この歳で優勝だなんて…昨今の音楽ファンはどのように受け止めるでしょうか?音楽大学で「専門教育」を受けたのがハタチを過ぎてからとはいえ。

ところで、リヒテルはこの全ソ連コンクールについて次のように述べています。


・・・・・

この賞のおかげで、彼らとしては私のコンサートのチラシに「私がこれこれの受賞者」と書けるようになり、のちには「レーニン賞」とか「社会主義の仕事の英雄」とか「ソ連人民の芸術家」とかいう文句まで添えられるようになったのです。こうした無意味な称号が大好きなのが、ソ連人の気質です。



・・・・・

 
うーん「無意味な称号」か。

リスト役に抜擢された理由は様々でしょうが、「全ソ連コンクール1位」が後押しになったと思います。でも、リヒテル自身は一連の「無意味な称号」の一つにしか過ぎないと感じている。

なるほど、映画を製作した人たちの認識…つまり代表CASTに名前をクレジットしない、そんな扱い!…によって何となく、称号の「無意味」さを証明している気がします。確かに、当時はリヒテルの師匠筋先輩筋にあたる偉大な芸術家ピアニストがたくさんいて、比べればデビュー間もない新人ではあった。けれど決して一介の新人ではない。旧共産圏の国のこと。いちいちコンクールに政治的介入がありましたから。旧ソ連という国、リヒテルの苦悩…複雑なモノを私は感じます。

「健全な考え」でいえば、例えば、人気絶頂のピアニスト、Lang Lang (ラン・ラン)やKrystian Zimerman (K.ツィメルマン)が映画で役をもらってピアノ演奏するとなれば、たとえ「端役」でも名前くらいは出るとは思いますが、それは一種の産業的思考に基づく考えかもしれません。「健全」といいつつも。

まあ、映画に出るも出ないも、名前が出るも出ないも、色んな(はかり知れない)事情が芸術家の活動につきまとう、ということです。

多くを遺してくれた大天才ピアニスト、リヒテルの人生のヒトコマ。

私は常人離れした、しかし人間臭いリヒテルが好きです。

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